最近の引き寄せは、書いたらヤバそうなものが多いので、このブログが過疎っているうちに書いておく。
最近、高学歴なJKを見かけることが多くなった。
別に、こちらから狙って会いに行っているわけでも何でもなく、普通に仕事の帰りとかに出くわすという感じ。
一昨日は、クロミミラパンで豆を買った帰りに、目黒駅のエスカレーターの所で、ちょっと太った雙葉高校の生徒を見かけた。
というか、その子がすれ違い様に私の顔をじーっと見てきた。
私はただ歩いていただけで、何もしていないのに。
その時、私は相手の顔を見ていないが、後ろ姿で雙葉の制服だと分かった。
そんなことは、今までなかったのに。
今日は仕事の帰り、自宅の最寄駅で、桜蔭の生徒を見かけた。
その30分くらい前には、桜蔭の生徒に会いたいなと思っていたので、その矢先だった。
もちろん、こちらが狙ったわけではなく、たまたまその時間にその子と帰宅時間がかぶっただけだ。
彼女は私の前を歩いていたが、歩くスピードはすげえゆっくりだった。
よく、頭の回転の良い人は行動がキビキビと速いイメージがあるが、むしろ逆の場合もあって、それは比例しない。
(でも、これが万が一、私の後を付けるためなどの軽いストーカー的な好意からだったら、申し訳ないがマジで罪悪感が湧くから、もうやめておこうってなる。ちなみに私は、その子に会ったのは今日が初めてだと思っている。)
これが、最近起きた引き寄せの話。
喫茶店の店員なみちゃんのことから、まさかこういう方向に引き寄せが行くとはね。
ちなみに、以前私は、桜蔭の子たちを見に水道橋まで行ったことがある。
まず、桜蔭生はふわあっと幸せオーラが出ている子が多い。
そして、私が眼鏡で細目の地味な子をじっと見ていたら、その子は嫌がったのか、さっさと歩いて過ぎていった。
しかし。
それを見ていた他の桜蔭生(中学生ぐらいの歳)が、「この人、歳下でもありなの?」というような期待の目で、私の目をじっと見つめながら通り過ぎていった。
私はその時、自分に娘が出来たみたいな、幸せな気持ちになった。
申し訳ないが、性的な思いはあまりなかった。
むしろ、性欲は愛に対立するという、キニャールの論そのものだった。
あれは、その一瞬だけ二人の間に芽生えた愛だったと思う。
あれが愛なんだなという基準を知ることが出来て良かったと思う。
(性欲があってもなくても、その愛の状態に戻れる人と付き合うべきなのかも。)
ちなみに、私が何で桜蔭にシンパシーを感じるかというと、彼女らは小学校時代の私に似ている雰囲気があるから。
話は戻るが。
前に開成の男の子を見かけた時、なんか挙動不審な感じで、その子の良い部分と悪い部分が素材そのまま活かされているといった感じだった。
良い学校っていうのは、個性をそのまま受け入れてあげる学校のことなんだろう。
また、桜蔭に受かった子たちの塾のレビューを見てみると、周りの塾生に比べて全然勉強が出来なくて悔しい思いをしていたとか、そんな感じの人も意外に多かった。
要は、自分の個性のまま、自分のペースで地道に積み上げて行ったほうが強いのだろう。
だから、分かった。
開成とか桜蔭は、天才が行く所ではないだろう。
天才はいても、少ないと思う。
むしろ天才の人たちの方が、鼻高々になってしまって途中から努力をしない。
筑駒高校の生徒は、「速読は嘘です。筑駒に受かるためには熟読して下さい」と言っていた。
しかもその子が言うには、独学で筑駒に来た友達もいるとのこと。
要は、最終的には勉強が好きかどうか。
天才である必要はない。