(Facebook投稿記事)



思えば、私がフランスの詩に嵌まったきっかけは、作曲家ラヴェルの気持ちを知りたいからでした。

最初に読んだのは、マラルメの「ためいきsoupir」。

そう、「ステファヌ・マラルメによる3つの詩」という歌の、第一曲目です。

あの頃はまだ文法書も読んだことがなかったため、辞書もしくはGoogle翻訳を使いながら、無理やり翻訳していました。

そして、Jet d’eauジェット機の飛行機雲だと思っていました。

その単語を見るや否や、「何て美しい文章なんだろう!」と感動しました。

蒼穹を忠実に進む飛行機と飛行機雲を想像してしまい、まるで夢の中に浸ったかのような錯覚を覚えました。

飛行機雲は水蒸気ですからね。

しかしその後、Jet d’eauが噴水であることに気づいて、「なんだ、普通じゃないか」と思いました。

あの時代には飛行船はあったもしれないが、ジェット機はありませんからね。


まあ、普通の思考で生きていたら、フランス語も読めないうちからフランス語で書かれた詩集など買うはずがありませんけどね。

あの時、もし常識的に考えて、「まずはフランス語の単語帳と文法書から始めよう」などと思っていたら、挫折してしまったかもしれません。

もしそうなっていたら、チェコ語などの他の外国語に触れることもなかったと思います。

あの時、紀伊國屋書店の外国語コーナーでマラルメの詩集を見た時、直感がかなりワクワクして身体がムズムズしていたので、慎重に易占いサイトで確認を取ってから、購入を決めたのでした。

買ってみて正解でした。

なぜなら、それ以来、日本語に翻訳されていない詩を読むことも何とか出来るようになれたし、現行の日本語に翻訳された詩の内容が間違っていることがあるという事実にも気づけたからです。


それを機に、私の中に一種の本物志向の人間性が構築されたのは、不可逆的なものでした。

ラヴェルの音楽を知るために、元ネタであるフランス詩を原文で読む行為は、普通の人間の行動では殆ど見られたものではありません。

それは完全にオタクの世界へと足を踏み出すこととなり、もうそこから後戻りは出来なくなります。

見る人によっては、軽く廃人気味に映るかもしれません。

自分の中の世界が新たに開拓され広がってゆき、その世界に共感してくれる人が少ないという事実に、些か孤独を覚えることも出てきます。

でも、私はこれで良かったと思っています。


私はたまたまフランス詩がきっかけで、世界を見る目が変わりました。

あなたは何をきっかけに、世界を見る目が変わるのでしょうか?