聖書についての元ネタの考察

蛇霊には、ものすごく良い蛇神様もいるけど、そのだいたいは邪悪な蛇霊。

蛇憑きとは、邪悪な蛇霊に乗っ取られていることを言う。

 

同じことが旧約聖書にて、林檎に毒を盛った蛇がいて。

その蛇は、ルシフェル(サタン)と言われている。

なぜ毒を盛ったかというと、神に背いて地獄へ堕ちたサタンが、アダムとイヴを堕落させて神に復讐しようとしたから。

(ユダヤ教イスラム教でも同じ。)

 

ただ、聖書は明らかに作り話やプロパガンダが混ぜ込んであるね。

もちろん、本物の神から霊感をもらって書かれた部分もあるだろうけど。

恐らくだが、聖書の一番初めの元ネタを口伝などで述べた人は、本物の神から霊感をもらって述べていたんだと思う。

それが王様に都合良く書き換えられたのが聖書なんだろうけど、だからこそ断片的には神から与えられた真理が書かれているんだろう。

 

エスさんの「右の頬を打たれたら、左の頬も差し出しなさい」というのは、聖書独特の考えなんだよな。

もうぶっちゃけるけど、イエスさんはユダヤ教徒の異端版だったと思う。

恐らく、歳差運動が魚座時代に入った2200年前、その辺りにイエスさんは居たと思うんだ。

エスさんは、ものすごい霊的感性の持ち主だったはず。

で、話が口伝で広がる度に、注目を集めたくて話を盛る奴ってやっぱりいるんだよ。

そんな統合失調症的な「尾鰭」が付いて、やがて人々に広まっていったという。

 

でも、国の上層部がそれを良しとしなかったのは、いつの時代も同じ。

エスさんは、当時の人々からは絶大な人気を誇っており、それを恐れた国の上層部によって、磔にされて殺害された。

その話を揉み消そうとしても、人々の間では決して揉み消すことは出来なかった。

(その証拠に、後の時代でもキリスト教を布教しようとした人たちは次々に処刑された。つまり、それだけ国にとっては恐るべき思想だったということだ。なお、今では教会によってその人たちは聖人とされている。)

なので、キリスト教にある「全ての人は等しく価値ある存在だ」というのが広まってしまうことを、国のトップは恐れたわけで。

その妥協案として、その話に嘘とプロパガンダ、元々あったギリシャ神話の作り替えなどを混ぜて教科書的にし、布教させることにしたという。