最近、Facebookに書くことが思いつかない。

本の読了感想を書いたりしていたけれど、最近、例の気象学の本がなかなか分厚いので、読み終わらない以上書くことがない。

ただ、この間書いた記事といったら、中南海メンソール8mgの画像を上げたことぐらいだ。

なぜ上げたかというと、この中南海、1本だけ「中南海」の部分の印刷がおかしかったたからだ。

どうやら、工場製造時におけるエラー品らしい。

珍しい。初めて出会った。

茶柱が立ったみたいだ。(スピリチュアル的には何を表していたんだろう?)

私はもうすぐに吸ってしまったけれど、こういうのは取っておくと高い値段でヤフオクに出品できたりするから、物の価値ってのは不思議だ。

今日、大学時代の友達と会った。

やっぱり彼は頭がキレるし、常識人だ。

そして、大学時代の先生の話になった。

どうも、現代音楽(無調音楽)を作曲する先生たちは、普通の調性音楽を作曲できないらしい。

そして、調性音楽を作曲する先生たちは、現代音楽を作曲できないらしい。

学歴が大学院を出ていても、そうらしい。

ダメじゃん。

これだから音楽業界は衰退するんだよ。

 

調性音楽も現代音楽も、どちらにも美しいと感じる作品はあるはずだ。

それを「私は現代音楽専門だから、調性音楽はできない」、「私は調性音楽しか作らないから、現代音楽なんてただの雑音だ」などと言ってしまえるのは、大学教授として片手落ちだと思う。

しかもそんなことを公で発言したら、次からそれをコンティニューさせなきゃならなくなる。

つまり、「現代音楽はただの雑音だ」と批判してしまった以上は、次からは現代音楽を良く言ってはならないという空気を作り、こうして自らのプライドを守るために無駄なことを色々取り繕わなくてはならなくなる。

そうなるぐらいだったら、恥を捨てて前言撤回すべき。

そうしなければ成長しなくなる。

脆いガラスのプライドばかりが肥大化する。

 

シェーンベルクは、初期は調性音楽、中期以降は現代音楽を書いている。

これを見れば分かるように、調性音楽の延長上に現代音楽が位置するのが好ましいと思う。

(ジャンルを問わず)良い作品を見極める目がないなら、もっと修行しろって話。

「気象学のキホンがよ〜くわかる本」、図書館の返却期限が来てしまい、結局、横浜駅紀伊国屋書店で購入した。

今、ようやく200ページちょうどまで来た。

やばいこの本、他と比べてかなり分かりやすい。

最近、気象学のことばっかし考えている自分がいる。

言っちゃ悪いけど、理系入門は著者が高学歴でない方がいい。

そんな気がする。

師匠が「ミッシャ・エルマンはバイオリンがすすり泣くんだよね」と言っていたが。

ジェフ・ベックエレキギターがすすり泣くよね。

上手いよ、この人。

今日、初めてジェフ・ベックの演奏を聴いたよ。

私はロックの知識がミニチョコパンの薄皮並みにペラッペラなんだよね。

ペラいんだよね。

スポティファイに救われている。

https://ksnovel-labo.com/blog-entry-1457.html#postscript

このところ、吉野さんの記事が神掛かっている。

私も毎日読んでますよ。

何?風水ってのは本当にあるのかね。

 

(引用)

※五行図 再び上げておくので参考にしてください。
gogyou2.jpg
それぞれの漢字に割り当てている色が、その気を表します。
赤い矢印(五芒星)はそれぞれが向かう相手を害し、抑え込みます。黒い矢印(円)は向かう相手を栄えさせ、元の気は衰退します。
追記 方角は、西=金 北=水 東=木 南=火 中央=黄 と対応しています。だからたとえば、水気(知性)を高め学習運を上げたいなら北に金気の白を置く、などをすればいいわけです。有効かどうかはともかく。

(引用、終わり)

 

ただ、上記記事を読めば分かるが、中共工作員が、思いつきか、もしくはわざと真逆のことを言って、五行風水を抹消しようとしているとのこと。

気持ち悪い連中だ。

孔子学院という、中共の洗脳組織についても述べていた。→FBIが「トロイの木馬」と言ったほどの組織。

 

吉野さんも大変だな、こんな連中さえいなければ、ただ真実を言うだけで良かっただろうに、敵の作った偽情報を論破しなければならない必要性に駆られているとは。

やはり例の人の生まれ変わりだからか、こういう使命を持って生まれて来た人なんだと考えてしまう。

というか、そこまでオカルトに詳しい人が少数しかいないという不思議。

それでも、「泥中の蓮」を続けていれば、死後に報われることだろう。

(高学歴で唯物論者をやっている人たちは、その頭があるんだったらちゃんと調べろっていう。何?世間体の手前オカルトには手を出せないだと?プライドを捨てろ。オウムに入れとは言わんが。)

 

なお、吉野さんは別の記事で、「魂が生まれる前に立てた計画を変えてしまうことになるから、風水には中毒しない方がいい。負のカルマになる」と言っていた。

https://ksnovel-labo.com/blog-entry-1453.html#postscript

吉野さんへ、拡散しておきます。

なお、上記ブログ記事にある、敵が書いた文章の引用の部分は、読み飛ばしても要点は伝わります。

 

中国共産党工作員が、「劉備諸葛亮の信頼は嘘だった」という嘘を吹聴して回っている様子。

工作員ってのは相変わらず、やっていることもそうだけど、顔も気持ち悪いですね。

 

こんなのが学者で食ってる。

 

(引用)

 

冒頭を思い出して欲しい。
そもそも最初から、劉備は新参の諸葛亮について激しく贔屓をしていた。
出仕当初、劉備諸葛亮と寝食をともにするほど“寵愛”したために(記録にはないが当然に)諸葛亮は古参の兵たちから嫉妬を受け命まで狙われている。
それなのにあろうことか劉備は、
「あいつは俺という魚にとって水のようなものだ(あいつは自分にとって、なくてはならないものだ)」
などと放言して火に油を注いだ。(……客観的に見てヒドイ)
諸葛亮がどうにか殺されずに済んだのは、亮が赤壁戦で使者(人質)となり古参兵たちの信頼を得たからだ。

当たり前だがこんな時代から、劉備諸葛亮を「信頼しておらず」「水魚と呼んで貶めて牽制した」わけがない。
信頼していない相手をどう逆立ちすれば寵愛できるんだ。脅されて寝食をともにできるか?
まして出仕したてで何の力もない若造、信頼できないと思った時点で追い出せばいい。後年よりも遥かに容易だろう。

 

(中略)

 

ここに私の言葉で再びはっきり保証しておくけど、『正史』『演義』で描かれた劉備諸葛亮の信愛についてだけは間違いなく真実だ。信じていい。

異次元の話を抜きにして述べても、史実を通しで見たときの理論上、二人の信愛を真実だと考えるほうが矛盾がなくなる
矛盾を無視して珍妙な「新説」にしがみつくのは、自ら知能の低さ(と心の貧しさ)を証明していることになる。

 

(引用、終わり)