やべー、師匠のおかげで技術力は格段に上がった。
某ドイツ製の一級製品を一通り整備する研修を、約1か月かけて行った。
それは嘱託の仕事がない日はほぼ週7で通いつめ、辛かったけどやっと自分の技術力に自信がついた。
なのに、何がやべーかって・・・
あまりに上級の技術を学んでしまうと、あまりに本当のことを知りすぎてしまうと、いわゆる「常識」との乖離が起きて、詐欺か何かだと思われてしまうってこと。
これは孤独に近い感覚だ。
そして、今日、今まで友達だと思っていた人から、LINEに既読がつかない。
この間、師匠に会わせたその友達から、連絡を拒否られたかもしれない。(まあ、気のせいかもしれないが。)
もちろん、そんなわけはない!と思いたいが、今日、こんなことがあった。
それは、某喫茶店の店長が「この世に絶対音感は存在しない」と、お客さん相手に言い切っていたこと。
「細胞は入れ替わるので味覚は維持できない。音感も同じ」というロジック。
そんなわけはないじゃないか!
細胞には恒常性があるじゃないか!
スマホの無料アプリか何かで好きな音階を出し、絶対音感を持っている人に当てさせればいいじゃないか!
そうすれば「絶対音感なんかない」なんて恥ずかしい台詞を堂々と吐かなくて済むはずだ。
いや、絶対音感もそうだけど、相手にとって存在しない・知らないことを、相手に体験させようったって無理な話だ。
それと同じで、技術だったり、世の中の本当のことだったりを知りすぎると、周りが理解してくれないんだよな。
私が好きな知識だって、例えばシュルレアリスム、例えばオートマティスム、例えばケシや大麻の話、例えば現代音楽の話、例えば吉野圭さんの前世の話などなど・・・
それらをもしうっかり公の場で語ってしまうと、傍目から見て「やばい奴」だと思われる可能性もあるってことだ。
だってさぁ、もし「現代クラシック音楽は、ただの雑音。あれを良いと思っている奴はただの宗教」とか言われてみ?
もし「シュルレアリスムの絵画は、正当な技術のない奴が作った宗教」とか言われてみ?(実際、20世紀初頭はそんな感じだった。)
政治と宗教の話がタブーなのは、そういう人がいるから大っぴらには言えないんだろうな。
でも、日本ってそういう所がバカなんだよな。
論理的に証明できる分野でしか、発展しないところ。
「周りと同じを良しとする」なんて、それが良い事のために使われなければ、基本、糞だよ、糞。