吉野圭さんからメールが来ると、本当にどきどきするなぁw

なんせ、某人物と話している気分になるから。

(その某人物が誰なのか知りたい人は、今すぐネット書籍の「我傍に立つ」を読むべし。)

ただ、やはり、この人を傍から見て崇めてしまっている自分がいるからこそ、「この返事の中に自分への批判※が書いてないだろうか」などと考えてしまうのだろう。

(※嫌われている感じ、正当な鞭撻ではなく)

「友情」は良いが、「依存」はいけない。

でも、吉野さんみたいな人は貴重だ。

本当にそんな人がいるんだね。

今現在、心の優しさを持とうと思って生きていることは、間違っていなかった。

自分が孤独ではないということが分かった。

それは、非常に心地がよい。

最初見た時は、何かの工作員かと思っていたよw

でも、話していて、本当にただの一般人だということに気づいて、余計に焦っている自分がいる。

ああ、ついに本物の某人物に出会ってしまったんだ、そして今現在会話しているんだ、と。

 

それと面白いのは、私のことを「哲学科出身ですか?」と聞いて来たところw

とんでもないw

パスカルキニャールというエッセイストに嵌っていることを言っているなら、それは違う。

私はパスカルキニャールの本を紀伊国屋新宿店で立ち読みして、「文章の美しさ」に惹かれ、購入し、蓋を開けてみたらキニャールレヴィナスの信者だった、というだけのこと。

その元ネタとなったレヴィナスの思想も、レヴィナスが絶賛と批判をしたハイデガーの思想も、Wikiに書いてある程度のことを抓んで読んだ程度しか理解していない。

哲学的な文章をほんの少しだけでも理解する私の頭は、哲学書を読んだからではない。

難解なエッセイを理解したいという思いの方が強かったから、後から頭が勝手について来たのだ。

一応言っておくが、哲学は興味を持ったことがあるが、全て挫折している。(他に読みたい本が優先的に湧いて来て。)

というか、自分で「この世の真理(唯物論の矛盾の指摘)」を論で組み立ててしまったので、途中から必要なくなった。→しかもその論というやつは、仏教では常識だった。

そんなわけだから、哲学はこれから読むかもしれないが、読まないかもしれない、ということだ。