パスカルキニャール「いにしえの光」(水声社)を、読了した。

一文一文を理解しながら読んでいった。

これを機に、西洋人の物の考え方は、西洋人が普段使っている言語の構造によるものだという事が何となく分かった。

今、読み始めた清少納言と比べると、明らかに日本人の私にはしっくり来ない何かがある。

しかし、フランス人の考え方は、それはそれで面白いし、文章も美しい。

あれだけ頭が疲れたのに、また新しい本を買って読みたくなる、不思議な魅力があるのを認めざるを得ない。

ベルグソンから学んだレヴィナスから学んだ、キニャールの時間論。

 

以下は私がFacebookに投稿した記事だが、ここに載せなかった話にも良い文章がたくさんあった。

これらの本は既に廃版なので、品切れになる前に是非読んで欲しい。

ただし、難しいのは覚悟で。

 

なお、私がこれを読める頭を持っているからといって、どうか劣等感などの負の感情を持たないで欲しい。

好きだからこそ分かるまで読み込んだ、というだけのこと。

私は、これを読めない人を馬鹿にするつもりは毛頭ない。

たいていの人は、こんなのは人生に必要でも何でもない。

でも、この記事を読んで好きになったなら、今から始めてみればいいだけのことだ。

 

Facebook記事引用↓)

パスカルキニャール「いにしえの光」、読了。

現在を思った瞬間にそれは過去となる。
その過去も、さらなる過去である「往古」からの記憶を時々呼び覚ますことがある。
その往古の記憶を呼び覚ます瞬間、人は「恍惚=脱自(エクスターズ)」に包まれる。
往古(jadis)とは、世の中が誕生した一番最初のことであり、神である。

↑趣旨を表すとこのような感じになります。

なお、「赤」と題されたエッセイは、おそらくだが共産主義の批判であろう事が書かれています。
そして最後には、日本の昔話である「姥捨て山」という良い話を、キニャール調に改変した話で終わります。

私はパスカルキニャールの本を読むのがこれで三冊目になりますが、一番難しかったです。

(引用)
暑さが夜のけだるさからカメを誘いだす。地中から這い出して頭を突きだし、さすらいの一歩を踏み出す。寒さはカメを追い払う。
脚を折り畳み、甲羅のシェルターの中に頭を押し込めたこのちいさな爬虫類は、冬を捨てて夢の中へと逃れ去る。
いささかの躊躇もなくカメが死から身を護る方法とは、みずからを葬ることなのだ。
その脚には季節が乗り移り、脚の器官機能と陽光がひとつに混ざり合う。
歩きだす時間のかけら。

(意訳)
暑さが夜のけだるさから、冬眠していたカメを誘いだす。地中から這い出して、頭を突きだし、旅立ちの一歩を踏み出す。
寒いとカメは隠れるように冬眠してしまう。
脚を折り畳み、甲羅の中を住居とするみたいに頭を押し込めた、このカメという名の小さな爬虫類。
カメは、冬に過ごすということをやめて、冬眠という夢の中へと逃れ去る。
冬から春へと季節が移ろう。
それに、カメの脚がついていくように、季節は乗り移る。
そして、冬眠から目覚めて歩き出すその脚は、冬眠から目覚めるという行動を取るための器官機能があり、その脚の働きと春の太陽の働きが連動している。
カメが歩き出すその行動は、当然ながら時間を伴っており、まるでその時間だけ「歩き出す」という行動のために充てられているようだ。

(引用)
二世紀初頭、アレキサンドリアのアポロニオス・デュスコロス(ハドリアヌス帝とアントニウス帝の時代に活躍した文法学者)は、不限定名詞を総称してアオリスタと呼ぶことにした。ギリシア語のなかで「もっとも不定過去的な名詞(オノマ・アオリストタトン)」の例として、彼はtisという語を挙げた。
Tisは、ギリシア語では誰か、人(クイダム)、何某、X氏を意味する。
それは「昔、ある男が.....」という、日本の昔話のお約束のはじまりでもある。
Tisは仮面/人物(ペルソナエ)(倫理的な顔、すなわち古代ローマ世界の仮面たち)よりも曖昧な人物を指す。ラテン語と同じように、ギリシア語の「顔」と言えば、人称代名詞の「私」や「君」の意味になる。
アポロニオスによれば、不定過去は「顔に対立するもの」をまさしく定義づける。

(註釈)
アオリスタ:今でもギリシア語文法ではアオリストという形態がある。「私は~だった」というような、時制を無視した過去形。
それは「昔、ある男が.....」という、日本の昔話のお約束のはじまりでもある:「むかしむかし、あるところに...」は、フランス語訳するとこうも読み取れる。(著者はフランス人。でも、今話していることはギリシア語について。混同しないように。)
不定過去は「顔に対立するもの」をまさしく定義づける:「顔、人、お前(Πρόσωπο)」よりも、「彼女の、何々の(της)」 の方が、人物を指すときに傍から見ているような曖昧さが残る。そして、「私は~だった」という不定過去(アオリスト)は、時制的に曖昧。一番時制的に曖昧っぽい名詞は何かと言われたら「彼女の、何々の(της)」が選ばれた。ただ、私はギリシア語に詳しくない上に、Glosbeで調べても本文の通りにならないため、不明。