(Facebook投稿記事)
短編の物語集です。
どちらかというと初期に書かれた作品が多めです。
ネタバレするといけないので、詳しい内容は控えておきます。
ただ、訳者の小川美登里さんによる心理学的・哲学的な解釈による解説文は多めでした。
・失われた声
村に迷い込んだ青年と、蛙の化身である若い女性の愛の物語。
・舌の先まで出かかった名前
娘はある老人と契約を交わす。その老人の名前を1年後に覚えていることが出来たら恋人と結婚することが出来るが、もしも忘れてしまった場合にはその老人と結婚することになる。しかし、娘も恋人も、思い出そうとしても舌の先まで出かかったその名前を思い出すことが出来ずに苦闘する。
・エテルリュードとウォルフラムエテルリュードの恋人になりたいウォルフラムという青年は様々な謎かけをして、主人公エテルリュードを悩ませる。
・死色の顔をした子ども
人の顔を見るとその人の生気を奪って死に追いやってしまう子どもに、母親はその息子と結婚させるために3人の村娘を差し出す。
・時の勝利
乞食の老人に物資や食料を与える若い女性の話から、急に教師ウェルギリウスと少年ラシーヌの話に変わる、とりとめのない話。
・謎
ギリシア民話からの借用譚から、キニャール独自の哲学を導き出す。
さて、私が思うに、キニャールという作家はジャック・デリダ「散種」の影響も受けている可能性があると推測します。
まず、この物語では「語り部(かたりべ:物語を語る人)」による台詞が出て来ることがあります。
その「物語中にて、語り部がその物語の構成について語る構造」というものは、ロートレアモン「マルドロールの歌」でも使われた技法であり、デリダはロートレアモンのその手法のことをまさに散種的であると述べています。
これはどういうことなのかと言うと、既存の物語の構造そのものを飛び出してしまったということが、「一つの構造には様々な見方があり、その構造は一つの起源だけによって束縛されるものではない」とする「散種」の概念を踏襲しているというものです。
しかし、キニャールがもしデリダを参考にしたとしても、デリダに心酔するほどではなかったであろうことも明らかです。
なぜなら、キニャールの文体は既存の書物の文体構造から逸脱する場合があっても、その内容は一つの起源に基づいていることが前提に書かれているからです。
キニャールのいう起源とは「往古」であり、時間を遡ったインファンス(言葉を理解出来ない年齢の子供が話す言葉)なのです。
一つの言葉には人間によって意味が付けられていますが、幼児は「意味を持ったもの」と「意味の分からないもの」が混在している世界にいます。
物語の起源はその幼児性にあると、小川美登里さんは述べています。
なぜなら、幼年期の奥底に眠る願望や夢が、物語の根幹部分を支えている場合が多いからです。
ちなみにこのことは、デリダが「散種」と読んだ概念に非常にシンクロするものがあると考えられます。
なぜなら、散種というものの考え方とは、「一つの言葉には様々な意味があり、一つの起源に拠るものではない」というものだからです。
もちろん、今回のキニャールは小説形式でありかつ初期作品が多めなので、最終章の「謎」を除いたら、現在の作品にあるような脱構築された文章はあまり見られませんでした。