パスカル・キニャール「静かな小舟」、読了。

(Facebook投稿記事)

 

パスカルキニャール「静かな小舟」、読了。
「最後の王国シリーズ」の6作目であり、小川美登里さんの翻訳です。

無から生まれて、生という時間を与えられ、死ぬときにはまた無に返っていく。
その時に、地獄に行く者は、渡し守カロンに1オボロス銀貨を渡す。
だからこそ、古代ギリシャでは死者の口にその銀貨を入れて弔う。
これは、三途の川の六文銭と同じ発想である。

内容は、主に「死と生」に関するもの。
「書く行為は、魂に宿る過去の強迫反復を打ち砕く。何のために書くのだろう?死人のまま生きないためだ。」
「沖の広がりにつれて、この世のいたるところに新しい場所が生み出された。つまり書物のことだ。読者とは拡張する存在なのだ。」(共にp.101)
社会の持つ全体主義性に吸収されてしまうことを個人の死と言うならば、内面的な孤独を貫くことを個人の生と呼ぶ。
キニャールは、個人の生を維持するために、物を書き続ける。

この本には「麗しき憎しみ」と題された話がある。(p.113)
ウェルナトゥスは、憎き宿敵であるガイウス・ヒエロが死んだことを知り、涙した。
それは、宿敵の死を喜ぶと思っていた周囲の予想の、真逆の行動だった。
そして、彼はヒエロの墓の下に辿り着くと、死体の埋まった地面に剣を刺した。
それはまるで宿敵の心臓を貫いたかのようだった。
そして、ウェルナトゥスはそのまま地面に這いつくばり、15日後に餓死した。
解説によると、このウェルナトゥスという人物は、麗しき憎しみという感情に突き動かされて生きていたが、それを失った瞬間から生きる意味を失ったのだろうと書かれている。

この箇所を読んでいたところ、私は師匠から聞いた話を思い出していた。
田中静壱陸軍大将は敗戦の責任を取り、第一生命ビルの一室にて拳銃自殺をした。
それを聞いたマッカーサー元帥は、「私の一番の親友が死んでしまった」と言って、号泣したとのこと。
ただし、上記のウェルナトゥスの話と違うのは、田中大将とマッカーサーは戦時中一緒にトランプをやったほどの仲であり、立場は敵対していても心の中では親友だったこと。

さて、この本の内容は最後の王国シリーズ8作目の「秘められた生」と意味的に被る所がある。
「愛は社会に対立する」というものだ。
このことをキニャール調に解釈した、藤原仲平と伊勢守の娘との悲哀な恋愛の話がある。(p.215)
伊勢守の娘を愛した藤原仲平は、権力保持のために大臣の娘と結婚することになり、その結果、お互いが傷ついて疎遠になってしまう。
彼がその後、どんなに彼女に会いたがっても、彼女は一向に心を開かない。
「いいえ、結構です、公。わたくしはあなたをこの腕に抱くことはできません。なぜなら、わたくしはもう嵐でしかないからです。老齢の嵐でしか――」
そして、この話の冒頭は、嵐が丘の作者であるエミリー・ブロンテの一句から始まる。
「一八三八年、エミリーは手帳に英語でこう記した。『ブロンテはギリシア語で嵐の意味だ。』八八八年、日本では伊勢の守の娘が温子皇太后付きの女官となった。」

他にも「秘められた生」と被る箇所がある。
人は胎児の間は孤独であり、死後もまた孤独に返っていくというもの。
母親の胎内から切り離された瞬間、自分がそこで生活していた空間が失われてしまったと感じる。
そして、喪に服す者が死者に大切な品物(六文銭など)を渡す時、残された者(子)が失われゆく死者(母)と再融合するのを避けるための抵当となる。
胎内から切り離されたことによる空間の死と、母親の死。
この二つの暗礁は、供儀が避ける二種類の死である。
供儀とは、人たちが動物を殺して食べること。
(p.169)

また、この本の冒頭にはこんな話がある。(p.11)
霊柩車のことをフランス語ではコルビヤール(corbillard)という。
フランス語辞典を読んでいたキニャールは、この単語の意味を知った。
1595年、コルベイユ村の人々は毎週火曜と金曜にパリに来ていた。
そして、船頭たちは桟橋の小屋に放りっぱなしにされた赤子たちを小舟に載せた。
そして、その翌日(毎週水曜と土曜)には、赤子たちを母親の下に返した。
つまり、畑や森に住む母親たちの乳を飲むために、赤子たちはパリからコルベイユへと運ばれていったのだ。
(文脈からはなぜ赤子が移動したのかその理由が抜けているが、おそらくパリには子守りがいて一時的に子を預かっているのだと思う。)
1679年、リシュレは辞典に「コルベイヤール(コルベイユ船 corbeillard)」と記した。
1690年、フュルティエールは「コルビヤール(corbillard)」と綴り、「パリから七里離れたコルベイユまで走行する川舟」と定義した。
つまり、17世紀の時代には、霊柩車という語は、叫び声を響かせながら岸沿いにセーヌ川を運行する、乳飲み子たちを乗せた一艘の船を差していたのである。

新しく生まれた存在である赤子を乗せた舟と、死んだばかりの存在を乗せた車。
生と死。
だからこそ、この本のタイトルは「静かな小舟」なのである。

 

 

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