パスカル・キニャール「アプロネニア・アウィティアの柘植の板」、読了。

(Facebook投稿記事)

 

パスカルキニャール「アプロネニア・アウィティアの柘植の板」、読了。

私の所有するキニャール書籍は、これで20冊目になります。
ページ辺りの文字数が少ないため、短い時間で読み終えることが出来ました。

さて、この本のメインは古代エトルリアのアプロネニア・アウィティアという女性が記したエッセイとされていますが、その女性は実在しない人物であり、全てキニャールの創作話に収まるそうです。
そして、この本にはその話の続きとして「理性」という題の書籍も含まれており、こちらはポルキウス・ラトロの人生についてリアルな描写で書かれたものです。
つまり、この「アプロネニア・アウィティアの柘植の板」という本は、「アプロネニア・アウィティアの柘植の板」と「理性」の二つのフランス語書籍が、同じ本の二つの章に分かれて邦訳出版されているということです。
ちなみに、ポルキウス・ラトロは大セネカの著書にも登場する通り実在した人物ですが、「理性」に出て来る話はキニャールの創作面が大きいかと思われます。

「アプロネニア・アウィティアの柘植の板」という章について。
内容は、リアルな架空歴史文献といった感じです。
つまり、架空の歴史をもっともらしい文章で捏造したものです。
最初はカタカナ言葉の名前がこれでもかと詰め込まれた世界史教科書のようなストーリーが展開されますが、そこから先はアプロネニアによって柘植の板に書かれた日記帳になります。
しかし、下記などの哲学的・詩的思想はどう見てもキニャール節の創作臭がしてなりません。

(引用、p.52)
七十一、悪声
ナエウィアの声はにわかに脆く、あやしくなった。長く咳き込んでいた人のようにそれなりに落ち着き、調和しているわけでもなかった。断崖の、生ける声のめまいに耳傾ける。こういう声には死の響きのようなものがある。二季来のスプリウスの声もナエウィアの声に似ている。この種の声を耳にすると、はたと気づかされる。この頭は耳に引っかかっているちっぽけな毛糸でつながっている、この手はちっぽけな毛糸のおかげでつながっている、この声は一本の毛糸にぶらさがっているのだと。
(引用、終わり)

ただし、個人的な意見としては、この章はキニャールの愛読する清少納言枕草子」の影響が最も大きいと感じました。
例えば、下記などはまさに枕草子の一節をそのまま引用して来た匂いがします。

(引用、p.42)
七、女さまざま
なにかにつけ、すてき、すごい、すばらしいとほめる女は厭わしい。
なにかにつけ、つまらない、平凡だ、ばかげている、くだらない、野暮だとけなす女は厭わしい。
(引用、終わり)

そして、「理性」という章について。
これは、ポルキウス・ラトロの生涯についてを著者自身の言葉によって書かれているものです。
ラトロは非常なまでの雄弁能力を持ちながらも、「相手を議論でうち負かす者に無理があり、議論が下手なものに道理があることもありうる」との言葉を発しており、弁論術そのものにメタな批判を入れ、真理を語ることの出来る新たな弁論術を構築しようと腐心していたそうです。
その弁論術は、かの皇帝アウグストゥスもが自身の言葉に多くを引用したほど長けていたそうです。
そして、ラトロは水浴や狩りを好み、晩年は独り山小屋に籠る生活をしていたそうです。
ただし、この本(章)もキニャールの創作部分が大きいため、どこまでが史実なのかは訳者自身も明瞭ではないと語っております。

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