ガールズ&パンツァー、面白いね。
親父がDVDを買ってきて、私は7話まで一気に見たけど。
それぞれの国の特徴が出ている。
実際に戦車道があったら危険だろうけど、アニメなんで。
癒される。
話は変わるが。
今日は自由が丘のカフェ巡りをした。
いや、正確に言うと、お盆でどこもやっていなくて、このくそ暑い中、落ち着ける場所を探し歩いたのだった。
結局、消去法でいつものカフェ・ラ・ミルに行くことに。
カフェラミルは、珈琲は高いわりに薄くて美味くないけど、紅茶はまあまあ美味しい。
そこで、私はファルグのエッセイを翻訳していた。
なんて美しい言葉。
なんて幸せな時間。
これが一度も日本語に翻訳されず、誰からも見向きもされていないことに驚く。
きっと、フランス人の一部の国文学者にしか知られていないのだろう。
カフェ内の、女の子たちの笑い声が、私を馬鹿にしているように思えた。
それもきっと、私の精神病による被害妄想かもしれない。
もしかしたら、ナイフで鉛筆を削って、ペーパーナプキンの上に削りかすを集めていたのが、挙動不審に思えたのだろうか。
確かに、小型ナイフの持ち歩きは、刃渡り5cm以下のものでも違法にあたる。
でも、馬鹿にされたって、いいじゃないか。
それが私のスタンスなんだ。
その情景を、フランス語で書いてやろうか?
そしたら、幾分か美しい諷刺になるかもしれない。
こっちは、それくらいの意気で生きているんだ。
幸せは、人それぞれなんだ。
ただ、法に触れることに関してだけは気をつけるよ。
帰りの電車の中では、相変わらず「技術への問い」を読んでいた。
なになに?命運という言葉が出てきた。
そうか、道具の役割のことを命運と言ってしまうか。
(簡単に書くとそうだが、道具が道具であるための役割とか定義は、本当はもっと細かく分かれていて、その一部のことを命運と呼んでいる。)