今日でブログ投稿666日目となった。

悪魔の数字と言われているが、実際には神秘の数字であることの方が多いだろう。



(Facebook投稿記事)


私はよくFacebookに勉強系の記事を投稿している。

しかし、それは別に読まれなくても利点はあるのだ。

なぜなら、読んだ本などを私の脳内でまとめるために書いているようなものだから。


確かに、勉強をしている人に比べたら、勉強をしない人はしている人に比べて、少なくともその一面では劣っていることになる。

でも、それがなんだ。

人の価値は本来平等であると思うが、それは神などの高位な霊的存在が決めることだ。

能力の個体差なんかで人の価値は決まらない。

そのことが分かっている人は、馬鹿ではない。

なぜなら、時にはマイノリティが権力を持つこともあることを知っているし、能力のない人が能力のある人を登用してのし上がることがあることも知っており、また、大前提としてはいわゆる勝ち組と言われることに重点を置かずとも心豊かに暮らしていくことが充分可能であることを知っており、よって、社会構造の複雑さは学歴などの順位を凌駕していることも直観しているからだ。


ただ、私よりも読解能力のある人が、私よりも読書を愛していないのは、端的に言うと”もったいない”。

読書は、頭が良くなるというよりは、感性が豊かになると言った方が近いかもしれない。

ハイデガーは、芸術の本質は音楽でも絵画でもなく、詩だと言っていた。

ここで「読書を愛する」と書いたのは、読解能力の優劣に関わらず、読むことそのものが好きかどうかということだ。

だからこそ、いつか私のマニアックな勉強系記事が誰かに読まれることを期待して、宝の地図を入れた瓶を海に流すように、今日もこうやって書き続けるだけである。

ちなみに私は、読解能力はあまりないので、よく同じ箇所を何度も読んで噛み砕いたりしている。