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(引用)
昔読んだ人は今更?と思われるかもしれませんが、この本の面白さや深さを体感的に知っている人が果たして世界にどれだけいるだろうかと考えてしまいました。
私は大学時代に三毛子が死ぬあたりまで読んだのですが、当時は面白さが分からなかったため、自然に返却期限が来てそのまま手つかずだったのです。
そんな私が現在になってこれを再度図書館で借り、面白すぎて同じ版のものを購入してしまいました。
これを知らないのは勿体ないです。
たまたま今世では日本人に生まれたので、原文のまま読めたことに感謝です。
内容はというと。
灰色の猫が主人公で、苦沙弥先生の家で飼われており、様々な客人が家に寄り集まって含蓄深い話をしたりします。
迷亭先生の「首を縊りたくなる松の話」や、寒月君の「ヴァイオリオンを山の麓で弾いたら身体が透き通るような体験をした話」なども含め、金田家とのいさかいや、猫同士の絡み合いなど、それらを冷静に分析して愚痴る主人公の語りが痛快です。
そのわりに、ネズミを捕ろうとして失敗する話なども。
これは主に笑いを取る本かもしれませんが、それにしても作者の史記や漢詩、日本文芸や、禅の知識なども豊富です。
この本には、すごく勉強させて頂きました。
また、註釈がたくさんあるのですが、ちくま文庫の版だと現在読み進めているページの左余白に註釈が載っているので、いちいちページを繰る必要がなく、助かります。
しかも今のご時世、分からない単語はスマホで検索すれば出てきます。
また、この本は今の高齢者世代が皆通った道でもあります。
現在と違って遊ぶものがあまり無かった時代、こういう本を読んだり歌などを歌ったりして心を満たしていたというわけで、つまりは高齢者世代の一般教養になっているわけです。
そういう世代のお客さんと会話する際にも、花を咲かせてくれる場面が何度か現れるかもしれません。
さて、読書に必要なのは、昔勉強が出来たかどうかではなく、最終的には自分が今持っている「感性」が物を言います。
取っ掛かりは、「人が読んでいるから」などの些末な動機でも構いません。
しかしどうか、一冊の本を丁寧に読み込む際には、世間体のために速読するなどのつまらない外的理由ではなく、自分の意志で「読みたい」という「高尚な感性のもとに湧き起こる不可抗力」に押されて入り込んで頂きたいと思います。