マラルメ「かつて、一冊のボードレールの余白に」

(Facebook投稿記事)


難解な文学や哲学書は、スマホのメモに書き写して精読することによって、読み解けたりします。

美しいと思った文は、そうして保存すると良いでしょう。


下記のマラルメの詩「かつて、一冊のボードレールの余白に」の詳細は、以下の通り。


不在の庭園の中に、寡黙な鏡たちがあります。

その鏡たちの作った、花壇があります。

(その鏡の花壇は、木々の影たちによって、鏡たちを陳列することによって作られました。)

その花壇の縁に、花崗岩があります。

その花崗岩は、「忘却」と、「全ての未来」をちりばめているのです。

マラルメの詩は、「忘却がちりばめられている」などと、忘却という単語が生き物であるかのごとく(アニミズム的に)書かれていたりしますが、よくあることなので驚かないようにしましょう。


流謫(るたく)=島流しの刑のこと。

破摧=破砕のこと。


「天とは何であるか?」

これは、世の不条理を嘆いたのかもしれませんし、また、神秘の不思議さを語ったのかもしれませんし、はたまた、その両方の意味があるのかもしれませんが、結局、よく分かりませんでした。


(引用)


マラルメ「かつて、一冊のボードレールの余白に」(阿部良雄訳)


韻律を涸らして、読み直すことを私に強いる、不能の女神(ミューズ)よ。飲み物をすすめる敵なる女神よ、私はきみに、他者から由来する陶酔をお返しする。


一つの風景が憑きまとい、その強烈なことは阿片のようだ。かしこの高みにも地平線にも、鉛いろの雲が、<祈り>の青い抜け穴を見せてーー植物といえば、その痛ましい樹皮が剥き出しにされた神経を絡ませている木々が苦しんでおり、木々の目に見える生長は、不動の空気にもかかわらず、先端では葉となって戦(おのの)くヴァイオリンの嘆きによって伴奏される。木々の影は、寡黙な鏡たちを不在の庭園の花壇として陳列し、その縁(ふち)の黒い花崗岩は、忘却を、すべての未来とともに鏤(ちりば)めている。周囲には、地面に花束が、失墜した翼たちのいくつかの羽毛が。日の光は、一条の光線、次いでまたいくつもの光線のまにまに、倦怠(アンニュイ)を減じさせ、それらの光線は燃え上がって、不可解な緋色が流れるーー頬紅であろうか?血であろうか?奇妙なるかな、日没!それともこの涙の奔流は、後にうごめく花火師<魔王(サタン)>のベンガル花火によって輝かされたのか?夜が延長するものとしては、犯罪、悔恨、そして<死>ばかりだ。そのとき顔を咽(むせ)び泣きで覆うのは、この悪夢によってよりもむしろ、ありとあらゆる流謫(るたく)の不吉なる破摧(はさい)の裡にである。<天>とは何であるか?