とある詩のフランス語原文を、再度翻訳している最中だけど。
え?これ、めちゃめちゃ良い詩集じゃん!?
自分で訳さないと良さが分からない。
そんなのが、普通に埋もれている。
詩の翻訳は、Google翻訳とGlosbeさえあれば出来る。
あとの専門用語などは、頑張って検索し続ければ必ず答えが出てくるから。
ただ、例外的に大変な場合もあって、私はPorte-lyre(ポルトリール)をコトドリと訳したが、この答えに行き着くまでは苦労して検索し続けた。
これ言ったら営業妨害かもしれないけど、もはや紙の辞書なんて要らない。
なぜなら、一つの単語に対して、意味の数が少なすぎるから。
既存の翻訳文によくある誤訳の元は、全て紙の辞書だと言っても過言ではないくらい。
昔は、それしか手段がなかったんだろうな。
今やGlosbe(グロスブ)で検索すれば、一つの単語に対して、沢山の意味がヒットする。
(あ、一応言っておくけど、紙媒体の書籍そのものは普通に要るからね。ここで言っているのは辞書の話だから。紙媒体の書籍が消滅したりしたら、焚書が簡単に出来てしまい、言論統制が簡単に出来てしまうから。5chだって、私が共産主義を論破したら書き込み禁止になってしまい、未だにその禁止は続いている模様。ひろゆきって、本当に悪い奴だよ。)
要するに、昔から世に出回っている既存のフランス語翻訳文は、むしろ疑ってかかるくらいでちょうど良い。
なぜなら、その時代にはGoogle翻訳もGlosbeも無かったんだから。
出版社さんよ、仕事はまだまだ発掘出来るぞ。
ボードレールは、(私が訳した詩と見比べた感想では、)そこには誤訳がなかった。
なぜなら、ボードレールは文章自体が簡単だから、間違うことも少ないということだ。
しかし、マラルメやファルグは自分で訳さなきゃダメだ。
ちなみに、渡辺守章訳のマラルメなんて、もはやGoogle翻訳にそのままぶち込んだレベル。
岩波文庫に金払って買う価値があるのかどうかすら疑問だ。
未だにそんなのが権威を持っていること自体、日本は遅れているんだよ。