詩の翻訳についてのぶっちゃけ。

(一回消した記事だけど、勇気を出して投稿。恐らく、批判したい人が沢山出て来るだろうけど、現時点での私の考えはこれ。ただ、私のスキルが成長したら、また意見が変わるかもしれないが。)

 

ぶっちゃけ、自分で言うのも何だが。

詩の翻訳っていうのは、詩の翻訳ばっかりずっとやって来た人でないと出来ない。

難解な詩であればあるほど、そうなんだ。

例えば、学歴において「フランス語学科卒」だったとしても、それが役に立つとは限らないと思う。

むしろ、殆ど太刀打ち出来ないの場合の方が多いかもしれない。

 

もし、出版業界の誰か一人でもが今これを読んでいたとしたら、肝に銘じておくことだ。

あなたが難解な詩の翻訳を一つでもやってみたら、分かるから。

私も英文やフランス文の一般的なサイトを見ることだってあるが、それと詩の翻訳スキルとは関係ないため、違う脳を使っている。

 

私のやり方としては。

まず、万年筆用のノートを使う。

そこに、ペン(消しゴムで消えないもの)でその詩の原文を全て清書する。

次に、最初の一文において、分からない単語の下にその意味を鉛筆で小さく書いてゆく。

そして、その単語の意味を元に、最初の一文を翻訳してゆく。

なお、次の一文を翻訳した際に、最初の一文の翻訳を書き換えることだって、しょっちゅうある。

そうして、その詩を全て翻訳し終えたら、日本語の言い回しを美しく、かつ分かりやすく、かつ原文に忠実になるように、何度も推敲する。

 

これをやっていると、ノートは鉛筆の消し跡でボロボロになり、消しゴムのカスが充満してゆくことになる。

単語の意味を調べる際に、まずはGlosbeというサイトを使い、それで意味が通らなければGoogle翻訳に一段落分全部を書き込んでみる。

その際、紙の辞書は極力使わないこと。

なぜなら、紙の辞書は基本的に、誤訳の元にしかならないから。

 

こんな泥臭いことをやっていると、頭が疲れて来る。

なので、翌日以降にふとした瞬間、「ああ、あれはこういう意味だったのか」とひらめくこともある。

 

このように、フランス語を話せるとか、フランス語の新聞を読めるとかのスキルは、フランス語の詩の翻訳スキルとは違う脳を使うのだ。

それは、例えるならビールと蒸留酒ぐらいに別物だ。

新聞と俳句ぐらい違う、と言った方が分かりやすかっただろうか?

もちろん、異論は認める。

けれども、現段階での私はそう思っている。

 

詩の翻訳には、単語の記憶力よりも重要なことがある。

それは、「発想力」だ。

直訳すると意味不明になる詩は、意味を汲み取るために発想力が必要になって来る。

で、この発想力というのは、どうも私の特殊能力であることが最近分かった。

 

ああ、もしも詩の翻訳が私の副業になったのだとしたら、発想力を使って苦しむのだろうな。

まさに、マラルメの言う「素白の苦しみ」に近いものがある。

でも、占い師まぐろさんのタロット動画では、「あなたはそのことで挫折しそうになるかもしれませんが、その壁は必ず乗り越えられると出ていますので、信じて下さい」とのことだったので、信じるとするか。