今やっている詩の翻訳。
これ、下手したらフランス語原文を読めるフランス人でさえも、果たして何割の人たちが理解しているのか?っていうレベルだよ。
やはり、詩人の才能は本物だった。
しかも、全てがちゃんと韻を踏んでいるし、(ロンデル形式でも)意味的にちゃんと辻褄が合っているという、奇跡のような職人技。
一方で、以前の私があれだけディスっていたドイツ人翻訳家の力量はなかなか凄くて、今回、かなり参考にさせてもらっている。
ただ、そのドイツ人翻訳家でさえも分かってなかった部分も結構あって、そこら辺は私が新たな訳を出すことで、より詩人の意図を日本人に分かるように伝えられることだろう。
詩の翻訳をするにも「芸術的なセンス」がかなり必要になってくるし、そのセンスで文脈を読み取らないといけない。
私が今、何の詩集を訳しているのかはまだ公表したくないのでぼかすけど、その一詩にて以前私が「緑色の月の光」と訳した所。
あれ、やっぱり「草木に月の光が当たっている」という意味で訳すことにしたよ。
なぜなら、その次に「沈黙の地平線をうねりながら圧倒する」と出て来るから、それはもう「地上に生えている草木に月光が当たって、光線が緑色にうねって見えていること」だろうなと思ったから。
あと、以前私がporte-lyreを「コトドリ」と訳したと言ったが、やっぱり「竪琴」と訳すことにしようかなと迷っていたが、でもやっぱりこの時代に竪琴なんてあまりなかったと思うから、コトドリの方が現実的かなと。
その箇所は、どっちにしろ意味は通じるから難しい。
この詩人が生きていた時代では、流石にもう火あぶりの刑とかは無かったんだろうけど、それでもキリスト教が強固に根付いていた時代だから、あの時代にあんな詩集を出したのだから出版行為自体が教会によって弾圧されたのだろうな。
それにより、あまり日の目を見ることはなかった。
音楽家がその詩集を歌にしていなかったら、今現在も埋もれていた可能性は充分ある。
この詩人は恐らく、神秘主義(今でいうスピリチュアル)に傾倒していた。
ということは、反キリスト教だということだ。
その証拠に、この詩人の他の詩集の詩では、「醜いクリスピヌスの兄弟が、媚びながらコロンビーナの人形の脚に綿を詰める」とか書いてある。
クリスピヌスの兄弟は、キリスト教では聖人だからね。
キリスト教とそれ以外の思想は、基本的に仲が悪い。
神秘主義にハマるのは良いことだろうけど、罰当たりなことも書いてあるから、訳している身としてはそっちの意味でもやや不安だ。
ちなみに、この詩集にはマジでグロい描写も存在する。
「殺した男性の頭にパイプタバコの葉を詰めて、パイプをふかす」とか、やばいよ。グロ過ぎるよ。
でも、そんな詩でさえも訳していると知的欲求として楽しいし、達成感がある。
ちなみにそこは、パイプタバコを吸ったことのない人にはやや理解しにくい文章だが、当時の庶民はみんなパイプタバコを吸っていた。
あと、こういう難解な詩集の翻訳は、AIには無理だよ。
100年かかっても、AIには無理だと思う。
文系的に難解な文章は、自動翻訳では無理。
一つの単語には15個くらい意味があったりするのに、それを詩という特殊な文脈上で選ぶなんて、人間の頭にしか出来ないと思われる。
更には、詩人が自分で作ってしまった熟語なんかも、AIの翻訳では無理だろう。
よって、翻訳家という職種は100年後にも残り続けると思う。