リア充って、結局、何なんだろうね。

リア充」という言葉の定義、変えた方がいいよ。

 

さっき、ある若い男が、若い女の子を二人連れていた。

その男と女Aは、私を心の中では馬鹿にしていて、悦に浸っている感じだった。

ただ、女Bの方は、私を見たら内心恋愛感情的なものが少し動かされていたようで、こちらとしては悪い感じがしなかった。

それを空気で察したのか、男から出ていた嫌な優越感オーラは、一気に寂れたオーラに変わった。

その時に、私は初めてそのことに気付いたから、今ここで書いている現状。

私は、横浜元町の喫茶店を出た。

 

私が思ったこと。

それは、「この人たち、何て愛のない人たちなんだろう」ということ。

 

要するに、今までは女Aが本命だったのに、女Bが私にちょっと気持ちが靡いただけで、その男は嫉妬の心が芽生えて女Bの大切さにやっと気付いたってことだよね。

他人の不幸を悦ぶ度合いは、嫉妬深さに比例するから。

 

もはや、リア充の定義は変えた方がいい。

後先考えない人たちを量産しているから。

恐らくこれ、仮に私が女Bと良い感じの雰囲気の仲になれたら、既にその男とカップルが成立している女Aすらも急に寂しさに襲われるパターンだと思うよ。

こういうの、今までの人生で何度経験したことか。

たぶんその女Aは、プライベートで関わると愚痴とか他人の悪口ばっかり言う性格だと思うし、すぐ他人を馬鹿にして優越感に浸る、そういうのを世間ではさげまんと言うんだよ。

 

努力の楽しさを知らないことは、リアルが充実していないことに、ほぼ等しいかもしれない。

努力が出来ず、自己肯定感が低くて依存体質の女は、嫌な男に惹かれてしまう。

(その女が良い人でも悪い人でも、自己肯定感が低い・対人恐怖が大きいと、それに染まってしまう。)

この男だったら、勝ち組でいられると思うから。

でも、そんな女でも、根底で欲しているのは無償の愛なんだよ。

それにより、勝ち組(条件付きの愛)とか優越感(条件付きの愛)が消されただけで、寂しさに襲われるという。

その男から無償の愛を得るのは、どんなに時間が経っても無理だと思うよ。

むしろ、結婚して5年くらい経ったら、男の方から飽きて来て、どうやったらバレないで浮気出来るかと考え始める。

そういう人たちが、「結婚は人生の墓場だ」とか言うから。

そして、「愛なんて幻想だ。あるのは性欲だけなんだよ。そのことに、早く気付いた方がいいよ」とか言う。

(↑これは、過去に私がとある男性から本当に言われた台詞そのままを引用させてもらった。その人は既婚者で娘もいて、マッチングアプリの常習者。)

それはもはや、女を使い捨てている。

 

これと真っ向から対照を為すのが、スペインの修道士だった十字架のヨハネ(サンファンラクルス)なんだよね。

まあ、あれもあれで極端だけど、学ぶ所はあるかもしれない。

ただ、彼を馬鹿にしていた中世のリア充たちは何者にもなれなかったのに対し、彼が十字架のヨハネになれたことだけは確かだ。

彼の著作があらゆる人々の心を救って来たのは間違いないので、彼はただ存在しているだけで人々の癒しになったのだろう。