序文が精液とは、言い得て妙だな。

種子的差延

序文は父であり、本文で書かれたことを見守って執着し、本文を自画自賛するもの。

その本文を自画自賛するナルシシズムは、もはや序文の法であると。

 

(デリダ「散種」、p.66)

 

また、このページの「自然」についての言い回しが卓越しており、哲学の美しさを感じる。

 

しかし、デリダって人は面白いな。

無神論マルクス毛沢東の言葉を引用したかと思ったら、一方で、聖書やポール・クローデル(キリスト教徒)の言葉も同じ俎の上に乗せて考察したりする、この境目のなさ。