初めから悪人だった人なんていない。など

嫌なことをされたり言われたりしたことを思い出した時こそ、その都度、怒らないように耐え忍ぶ訓練をしよう。

むしろ、それはチャンスなんだ。

潜在意識を書き換えるチャンス。

こうして、マイナスの意識をプラマイゼロまで持って行く。

その書き変わった潜在意識により、引き寄せられるものが変わって行く。

「引き算の美学」は、引き寄せの法則に大いに役立つ。

 

そうすると、次から免疫が出来て、前よりもそのことについて怒りにくい身体になる。

怒りに一回でも最後まで耐えられたら、それは自信になる。

ちなみに、相手への批判をするのなら、その冷静な心で行うこと。

その方が、勝率が上がるから。

 

ちなみに、自信を付ける方法として、裏技がある。

それは、能力とか学歴とか家柄といった「つまらないこと」で、過去に他人から称賛を受けた喜びを、捨ててしまうことだ。

そうすると、そのことへの「条件付きの自信」は消えて、本物の「自信」だけが残り、育ってゆく。

これは、仏教的な方法だ。

防御力が高くなる。

 

この世に善と悪は、確実に存在する。

なぜなら、我々を導く高次霊の神様たちが皆、善の心を持っておられるから、よって我々の人生が向かう方向もそちら側にあるはずだからだ。

しかし、人は(大元の)神の一部として魂をもらった、神の子なんだ。

よって、初めから悪だった人なんて、いないんだ。

仮に、もし生まれつきの悪人というものがいたのだとしても、その人の前世を辿ればずっと悪人だったわけではなくて、必ずそうなるだけの理由があったりするから。

(その証拠に、人は何か悪いことをした時、一番最初は直感から拒絶反応が出る。)

 

悪の快楽を身につけると、それ以外の楽しみが感じにくくなるとともに、対人恐怖で他人を信用出来なくなっていく。

それはつまり、仕事や生活に楽しみが見いだせなくなっていき、仕事や生活はその信用出来ない他の人たちに見せるためだけに「嫌々やる」ことになる。

なので、「可哀想な奴だな」って思ってやればいい。

 

ということは、だ。

逆に、人に対して愛を与えることが出来る優しい人たちは、仕事や生活や勉強においても、楽しみを見出せるということでもあるわけだ。

勉強が出来るようになりたかったら、競争心なんて要らない。

愛を消さずに生きていれば、勉強に対しても、直感からワクワクが湧いて来やすくなるからだ。

そして、必要なことを必要な分だけ勝手に勉強し始めて、自己実現に向かって行くように神様からガイドされる。

愛とは、神との同調だから。

神と同調すると、人生が勝手に導かれる。