今朝見た夢の内容。
サド「ソドム百二十日あるいは淫蕩学校」を元にした映画「ソドムの市」について。
それがもし現代にリメイクされたらどうなるかを、鮮明な画質で見ることになった。
私はあんなものはそっとゴミ箱に捨てるべきだと思っているし、芸術性の面でも大したことがないため、今でもそう思う。
ただ、夢を見て分かったのは、あれはマルキ・ド・サドの倒錯した愛情表現だったんだなと。
とにかく、夢が潜在意識のカスだけでは説明出来ないと言わんばかりに、しっかりとストーリーが構成された状態で見た。
私は小学生の頃、図書館で借りたハムスターの本にめちゃめちゃ関心を持っていた時期がある。
その頃の私は、猫やハムスターがあまりにも可愛すぎて、どうしようもなかった。
ただ、猫やハムスターが私に懐かない部分があることを認めたくなかった。
つまり、愛情が返って来ないことを認めたくなかった。
そうなると、どうなるか。
そう、私はハムスターの手足をハサミでカットし、さんざん可愛がった挙げ句に、手で掴んで壁に叩きつけて殺す所を想像していた。
その想像では、あの時確かに恍惚を得ていた。
とにかく、それが可愛いのだ。
(もちろん、かなり昔の話です。)
ただ、神様に救われたのは、その後、私の家に金魚がやって来たこと。
金魚は私にすごく懐くし、愛情がちゃんと返って来た。
心がちゃんと通っていた。
金魚の幸せを心から願ったし、ずっとこの生活が続けば良いと思っていた。
たとえ私が死んでもこの金魚だけは守りたいと、本気でそう思えた。
何が言いたいかというと、あの時金魚から本当の愛情を感じなければ、今、私はどうなっていたか分からないかもしれないということ。
私は師匠の家で「ソドムの市」を見て、権力者が、
「(親殺しについて、)それは最も賢明な選択だ。俺は母親を殺した。」
という台詞を言っていたことから、マルキ・ド・サドが明らかに母親から虐待を受けていたことを突き止めた。
だからだろうか、私の今回の夢には実際にサドの亡霊が乗り移っていたんじゃないかと。
今の私は一般人の知識量ではなくなってしまったので、皮肉にもこの「平均的人間(Average Joe)」と書かれたこのブログには、ごく稀にだが有名人たちが閲覧するほどまでになってしまった。
(下手したら、パスカル・キニャールが一度はここかfacebookのどちらかを読んでおり、だからこそキニャールの側近Aline Pibouleは私の痛い記事を読んでいじめっ子気質の顔つきになってしまったのかもしれない。ちなみに、キニャールも夢に出たことがある。)
なので、マルキ・ド・サドの霊が一瞬だけ乗り移って来たとしても、そんなに非現実的なこととは思えない自分がいる。
夢の中では最後、男の警察官同士、あとは私服の女性と少女(つまり女同士)が、ディープキスをしていた。
まあ私は「どうせ架空の映画の話だしな」と夢の中でも思っていたが。
ソドム百二十日ってもしかしたら、ちゃんと読んだら面白いかもな、と一瞬思ってしまった。