男のお弟子さん(後輩)に、いくつかのSACDをそのままのデータでWAV.ファイルに落としてもらったんだけど。
今、児玉桃「鳥のカタログ」と「幼子イエスのための20のまなざし」のSACDをスマホに入れている。
更には、ジョン・コルトレーン「A Love Supreme」もSACDの状態のままスマホに入れてある。
(ちなみに、幼子イエスについては彼のミスでCD1枚目の分しか貰っていないので、2枚目については今度また貰う予定。)
そして、これ以上の量の音楽データは私のショボいiPhone8(64GB)には入らない。
よって、スマホに入れてある音楽データは、シンプルにこれらだけだ。
スマホの音楽データだけは、スティーブ・ジョブズ並みのミニマリストになった。
感想は、めちゃくちゃ良いなと。
私の使っているゼンハイザーのイヤホンも良いので、SACDの良さが分かる。
というか、ハンブルク・スタインウェイってこんなに音が良かったんだ。
メシアンは音楽性の深さが半端ないので、いつスマホのレギュラー陣から外そうかなと待ち構えていたんだけれど、結局、何だかんだで飽きが来ない。
メシアンは毎回聴き終わる度に、私の栄養になっている。
児玉桃さんの幼子イエスは実際に聴きに行ったけど、あの時の演奏がいつでも再現できるということだ。
というか、当然だが、あの時の演奏よりも、CD録音時の演奏の方が若干精度が高いことまでもが分かった。
それでも、演奏会の時の幼子イエスだって、あれだけの難曲にも拘らずノーミスだったけどね。
ジョン・コルトレーンも、だいたい聴き始める前に「ああもう飽きたし今日で聴いて最後にしよう」と思うんだけど、それでも曲が奥深いのか何なのか知らないが、何だかんだで飽きが来なくてまだスマホに入っている。
ジャズって即興演奏だからね。(即興曲じゃないよ、即興演奏だよ。即興曲はちゃんと一音一音紙に書いているからね。)
即興演奏でここまで奥深い・飽きが来ないって、すごくねえか?
ああでも、もし幼子イエスのCD2枚目のデータがスマホの容量をオーバーしたら、コルトレーンもレギュラー陣からさよならしなければならなくなるだろうな。
ジョン・コルトレーンとメシアンだったら、そりゃあ紙に書かれたメシアンの方が上だよ。