そういや、例のあの子(新しいお弟子さん)は女子校出身なんだよなあ。

そのわりに面倒臭いけどな。

だって、本当に私のことが好きならば、もっと向こうから好き好きアピールをして来いよって。

もちろん、こちらも気を遣ったりエスコートしたりしてあげたい気持ちもあるけども、それは私の自主的な善意であって、当たり前じゃないんだってこと。

私にとっては、女側も私の側とは「対等」なんだよ。

 

今日、またフェリス女学院中学の制服を着た生徒が二人、こちらを見て目が合った。

ただ、顔は嬉しそうだったけど、そのまま逃げてしまった感じ。

その後、タロット占いで見てみたら、二人とも確かに私のことが好きみたいで、そう言われるとあの時のあの反応には納得できる。

思ったんだけど、あの純粋無垢な状態でそのまま結婚まで行くのが、人間としての本来の姿なんじゃないかって。

歴史上、ほんの少し前までは、10代で結婚とか普通にあったので。

 

私は20代くらいのムッチリした人が好きなのはさんざん書いて来たけど。

結婚する相手だったら、身体が痩せていて胸がなくてもいいから、性格が純粋無垢な方が一緒に居たいと思える。

身体は魅力的なのに越したことはないかもしれないが、それよりも性格の方が優先順位が上。

結局、理想のムッチリ像の身体よりも、自分が好きな人のその身体の方が優先的に好きになっていく、ということに気付いたから。

 

別にJCやJKが特に好きってわけでもない。

特に、共学の生徒で男に慣れている感じのJKは、内面のドロドロさが面倒臭くて、その時だけはムラムラ来たとしても、この子と一生一緒は嫌だなと思ってしまう。

よく「処女は面倒臭い」っていうけど、それはその女自身がたまたま面倒臭かっただけであって、個人的には非処女の方が面倒臭い確率が高い気がする。

リア充の子とかも、男に気を遣われてエスコートされるのが当たり前だと思っている節が多かれ少なかれあるので、そこら辺が男側に負担が多くて、ほんと面倒臭いと思う。

そして、共学の学校にてそんなリア充の子たちに引け目を感じて生きてきたブスの子たちに至っては、(全員ではないんだろうけど)基本的に性格もめちゃくちゃ悪くていちいち差別的なので、恋愛対象以前に人間として論外。

(ちなみに、たまにいる性格の良いブスの子は、たいてい良い男が出来ると顔立ちがまるで変わってしまい、その子にしか出せない可愛らしさを醸し出し始める模様。)

 

ただ、実際に付き合ったことまではないけど、桜蔭やフェリスみたいな「高学歴JK」はアリだな。(全員ではないが。)

それもさんざん書いて来たけど、好かれてみれば分かる。

性格も良い感じだし、あの純粋無垢さには心が洗われる。

まあ、犯罪者アピールみたいになってしまったが。

いや、そもそもさゆふらっとまうんど(平塚正幸)が中学2年生を妊娠させたっていうのは、相手の純粋さを「利用」して不誠実な付き合いをしていたから悪いのであって、つまりはあいつの元の性格がものすごい自己中性を孕んでいるから悪いんだよ。

普通の神経だったら、ある程度の歳になってから正式に結婚して、それから計画的に妊娠させるだろうよ。

 

私が意外とJCやJKから好かれるのは、彼女たちは私の中の殺さないで保ち続けてきた心の純粋さを、私の顔つき云々から見抜いているからなんじゃないか?って思える時がある。

女って、自分を心から愛してくれそうな男を、その男の顔つきから見抜くよね?

 

いや、高学歴JKはアリって書いたけど、実はそこのOGでもやっぱり性格が純粋無垢な子がいるんだよ。

OGの既婚者でおばさんになってからも、性格が純粋無垢な人とか普通にいる。

だから、女子校出身の人は比較的好きなんだよな。

もういいや、とにかく自分の好きなことをやろう。

それが恋愛運を上げる一番の方法だと思うから。

私の好きなことは、パスカルキニャールの本を読むことや、詩の翻訳をすること、葉巻やパイプを吸うこと、食べたいときに喫茶店でパフェを注文すること、好きな物や服などを見たり買ったりすること…etc.

そうすれば、前にも起きたように、引き寄せの法則(気分によって相応しいものが引き寄せられるという意味の、狭義の引き寄せの法則)が発動すると思うから。


やっぱり、お互いにオポジション関係にある星が要所々々であるからか、あの子とは何かしらのタイミングが合わない。

こっちが攻める時にはあまり反応がなく、逆に向こうが寄って来て欲しい時には私が恋愛に無頓着な状態だったりするという。

(だって、私の頭が仕事モードの時って、そんな不埒なことを考える余地がないのだから、仕方ないじゃないか?)

でも、オポジションっていうのは、すれ違っていてもお互いに気になってしまう間柄なんだよなあ。


つい3日前・4日前には、向こうが帰る時には私のことを見て、何か言いたそうな、名残惜しそうな感じを見せてから帰っていった。

だから、脈ありは事実だと思ったわけよ。

それなのに、今日、約束通りにあの子のバイト先にお客さんとして遊びに行ったら、なんか目が笑ってねえのな。

ああ、なんか振り回されそう。

でも、なぜそこで諦めないかというと、根底では私のことを好きでいてくれているような気がするから、「もし離れたとしても、また私のことを何だかんだで誘惑するだろうな」という気持ちになれるから。

私の勘違いかもしれないけど、あの子からは不思議と地雷臭がしないんだよな。

地雷臭がしないってことは、お互いもっと素直になればやがて上手く収まる気がするんだよな。

(Facebookに投稿しなかった記事)


コモイ・スコティッシュ・ミクスチャーとスコッチ・ウイスキーを同時に楽しむという。


なお、このパイプ葉自体にもウイスキーの香りが付着しています。

ただ、期待した複合性のある味は得られず、ラタキア葉の感が強めに残るだけでした。


もちろん、換気扇の前で吸っております。

いつもながら、パイプ煙草は蒸留酒が進みます。

「モルトンブラウン・サイプレス&シーフェンネル」というボディソープ。

(Facebook投稿記事)


モルトンブラウン・サイプレス&シーフェンネル」という、イギリスのボディソープ。

前々から気になっていたので、横浜そごう5階にて購入しました。


まず、これはメンズ用品売り場で買ったものなのですが、使うと身体からめっちゃ女子の匂いがします。

自分自身がこの匂いになるのが嫌な人は、注意して下さい。

そして、ヤシ油が入っているからか、洗い流した後で風呂に浸かっている時でさえも、身体がぬるぬるします。

あと、予想通り、泡立ちはあまり良くないですね。


トップノートは、シーフェンネルベルガモット(持続時間515)

ミドルノートは、サイプレス・ジャスミンフランキンセンス(持続時間30分〜1時間)

ラストノートは、シダーウッド・ベチバー・ムスク(持続時間3時間〜半日)


シーフェンネルというのは、海辺に生えている食用のハーブだそうです。


サイプレスとは、糸杉のことだそうです。

ゴッホの絵にあるあれです。


ベチバーというのは、ゴキブリが嫌いなハーブだそうです。

ということは、私の存在自体がマリオの無敵状態みたいになり、師匠の家にたまに出て来るゴキブリを寄せ付けないようになるかもしれません。


そして、名前しか知らなかったムスクという香料は、雄のジャコウジカの腹部から摘出される動物由来のものだそうです。


なお、湯船に浸かってから身体を拭いた後は、ラストノートのみが残る感じでした。

正直、ハーブ感よりもムスク感の方が強いです。


https://moltonbrown.jp/shopdetail/000000000326/mb3/page1/recommend/


ほら、脈ありだ。

やっぱり、良いことはちゃんと起きた。


昨日、私が女のお弟子さん(以下、Mさん)と仲良く話していたら、皆で食事の時に、例の新しいお弟子さん(以下、あの子)の目に、突如として涙が浮かび上がった。

まあこれは、アルビノゆえの目の不調だと思っていたのだが、その10秒くらいの間は顔も紅潮していたので、違うかもしれない。

もしそうなら、マジでごめん。

もしそうなら言うが、あの子がそんなに私のことを好きだったなんて気付きもしなかった。(という仮説だが。)

Mさんと私は本物の親友なので、側から見ているとラブラブに見えてしまうらしいが、年の離れた既婚者相手にそれはないよ。


で、今日は、あの子を明日の仕事に同行して学ぶように誘ったら、是非行かせて下さい!とのことだった。

そして、今度の日曜にヤマハ銀座店の色々な売り場を見に行こうと誘ったら、「今週は無理ですけど、また来週にでも誘って下さい。行きたいです。」とのことだった。

そしてLINEには、「銀座店も是非行きたいです!」と念を押してくれた。(つまり、忘れないでねってことだろう。)

ということは、あの子は今週の日曜は本当に予定が埋まっていて行けないだけであり、私と一緒に行きたいという気持ちはあるってことだ。

前に予定表を見せて貰った際も、結構、スケジュールがびっしりだったからな。

銀座店は、実際の仕事とはあまり関係がないため、娯楽の部類に入るだろう。

ということは、脈ありの可能性はあるってことだ。

だって、もし脈なしだった場合は「予定が空いてないので、そのうち自分一人で行きますから」になるはずだから。


ちなみに言うと、昨日引いた新田神社での御神籤は、大吉。

易占やタロットに依存するくらいなら、御神籤を一回引いた方がよっぽど良いことに気付いた。

易占・タロットの依存をやめてみると、本当に自分は自分の良い未来を信じてないんだなってことが分かる。

こりゃ、引き寄せられないわけだわ。

そういう時は、神社への願い事をするのがおすすめ。

そして、不安はただひたすらにじっと耐えること。

「それでもなお信じてやる」っていう気持ちを持つこと。

だって、引き寄せの法則こそが願望実現の根幹部分なんだから。


現実には予想外のことだって起きたじゃないか。

だから、イメージングはそんなに必要ではなかったりする。

引き寄せは、ただ「そうなる」って信じること。

現時点で、心の一番心地よくなる部分を探して焦点を当てること。


もちろん、西洋占星術みたいな、何かの延長上にある占いは別だよ。

ただ、毎日毎日、運勢なんてものを本気で気にする状況は、神様が好ましく思ってないってこと。

西洋占星術はあくまでフィールドであって、引き寄せるのは自分の心だ。

まんこの匂いから、現代芸術哲学への話。

まんこの匂いについての話。

 

師匠と伊藤文学さんと佐々木さんという、3人のおじいちゃんたちがいる。

文ちゃんと佐々木さんは、「あの匂いがいいんじゃねえか!」と、まんこの匂いが好きだそうだ。

彼らの「まんこの匂いの好き度」は、X軸でいうとプラス10くらいに位置するのだろう。

一方で師匠は、ゲイ寄りのバイセクシャルであるためか、「あそこ舐めるなんて考えられねえよ、あんなチーズ臭い所。○○さん(師匠の元カノ)はいつも綺麗に洗ってくれるんだけど、それでもあれはフェロモンだから、どうしてもまた出てきちゃうんだよ。」と言っている。

彼はX軸でいうと、マイナス15くらいに位置する。

 

そして、私はそのちょうど間くらいに位置するのだが、そんな次元の低い所には位置しない。

X軸上の「好きか嫌いか」の軸上には表わせられない感情を抱く。

なぜなら、あの匂いを思い出すだけで、元カノとの色んなエピソードを思い出すため、少し悲しくなってしまうから。(今はだいぶ楽になったけど。)

別にあの匂いが好きっていうことはないし、どっちかというと匂いそのものは嫌いな部類に入るのだが、そもそもその匂いを嗅げる状況自体に相手への感謝の気持ちや思いやりの気持ちが芽生えるので、そんな単純な考えには至れない何かがある。

(まあ、それでも匂いそのものの基準で言うのなら、私はマイナス1くらいに位置するのだろうが。)

そんなわけで私は、新たに「Y軸」を設けて、そこら辺に位置するものとする。

少し悲しくなるということはY軸上ではマイナス7くらいになるので、(-1,-7)ということか。

(いや、それもまた、嬉しいことを思い出したりしてすぐに変動するため、時間軸tによって変動することも考慮できる。)

 

そんなわけだから、私から見れば「比較的教養の高いおじいちゃんが3人も集まって、その程度かよ」と思ってしまう。

 

で、本題だが。

20世紀初頭以降のシュルレアリスム的な芸術観って、今の私と同じ次元にあるのではないかと思ったんだ。

Y軸の発現。

形而下の性欲ではなく、形而上の愛について哲学するということ。

例えば、人は性的魅力の全くない「物」に対しても、情熱的な恋愛並みの愛情を感じることは出来るのだろうか?みたいな。

形而上の愛についてを、従来の「キリスト教みたいなものへの信仰心」だという説明ではなく、もっと「オカルト的な何か」なのではないだろうか?と哲学すること。


第一次大戦時、麻酔薬が普及していなかった当時、日本軍は催眠によって霊と肉を分離させて、麻酔の代わりにしていた。

それほど、20世紀初頭というのはオカルトの研究がされていたし、むろん霊と肉が別というのは紛れもない事実だ。

(私の場合は、気功ヒーリングやSAM前世療法によって、霊と肉が別であることや、唯物論が間違っていることへの証拠を、実体験として突き止めた。)

つまり、私が20世紀初頭の芸術やその思想について研究しているのは、もちろん直感が導いてくれたのが動機にはなっているが、一種の「最新の科学研究」なのではないかとさえ思える。