パスカルキニャール「いにしえの光」p.215

「何ものにも束縛されない、原初の時間感覚で生きることこそ、本来の人間らしい生き方だ」と述べている。

おそらくだが、ハイデガーを批判したレヴィナスの説から着想を得ていると思われる。

 

(引用)

青白く不明瞭な光、半透明であやしく灰色がかった光のもとで解読される記憶はすべて、ほぼ真実の記憶といえる。靄、曇り、指、水滴の跡――これらはほとんど精彩をなくした時間の中に投げ出された、標準的で完全に言語的な複合過去を構成する。

それに対して、あらゆる煌めきは往古を示している。往古は創造する。そして夢を見る。その煌めきは物語(コント)へと送り返される。金切り声のように鋭い光度は、幼年期の幼くして甲高い声を想起させる。言葉なき幼年期は社会的時間の外にあるものを探し求める。たとえば、飢えによる興奮の瞬間や何かを発見したときの濃密な瞬間、凝縮された恐怖の瞬間、飛び跳ね、狂喜する遊びの瞬間。子どもたちは過ぎ去ろうとするものなら何でも掴もうとするが、それは過ぎ去る時から過去を作り出すためではなく、仕事や束縛、時間割、服従、序列、年齢といったものが属する、志向的で制度化された時間からそれを引き剥がして、非言語的で非時間的な外部へと導くためである。

絶対的な原初の光の力がいまだ支配する時間の深淵の際(きわ)で、鳴り響くリズム。

子どもの、王国。

原初の光――光を見出した時に叫び声を鳴り響かせた、影の世界に直接続く最初の光――にいまだ支配された最後の王国。

(引用、終わり)

 

青白く不明瞭な光:煌めく光の対義語のように扱われており、ぼんやりとした顕在意識。そこで思い出す記憶は、ぼんやりとしたものだということ。でも、これはこれで真実の記憶だという。

靄、曇り、指、水滴の跡:おそらく、「靄が集まって空が曇り、指に水滴が落ち、やがて水滴の跡が付く」という順番のように、もやもやした記憶をたどって真実を思い出した時点までの系譜。

複合過去:過去形の文に続く過去形。ex.)昨日、渋谷へ行きました。そして、レストランで食事をしました。←まさにこのように記憶が思い出される。

あらゆる煌めき:青白く不明瞭な光の対義語として扱われており、はっきりとした本能のような記憶。自分が生まれる前、先祖代々、DNAに刻まれてきた記憶の物語。

往古:過ぎ去った昔。大昔。(ここでは、生まれる前のDNAに刻まれた遺伝的な記憶を表していると思われる。)

言葉なき幼年期は社会的時間の外にあるものを探し求める:「仕事や束縛、時間割、服従、序列、年齢などの、人間が作った決まりごとのような時間感覚」ではなく、それに対する自由な時間感覚。「非言語的で非時間的な時間感覚」とも言われている。

絶対的な原初の光:上記の自由な時間感覚が、本来の世界の時間を表しているということ。ハイデガーの「存在と時間」の全体主義を批判しているレヴィナスの説と思われる。

鳴り響くリズム:仕事や束縛~などの、規定が決まっているような時間感覚。

最後の王国:キニャールが心の中に求めた王国。キニャール自身は肺出血で死にかけており、そこから生還したので、最後の力を振り絞るつもりでこれらの本を出版し続けている。