私自身が技術者なのもあって、平凡社のハイデガー「技術への問い」を買った。
そして、ベッドで寝ながら、4ページだけ読んだ。
それ以上は、頭の回転が付いていかなかった。
しかし、その読んだ4ページ分は、ちゃんと意味が分かっている。
翻訳者に感謝だ。
しかし、その読んだ部分も、明日になったら忘れているかもしれない。
これで哲学を分かったつもりにはならないが、哲学は案外単純に書かれていることに気づいた。
実は、趣味で難解な詩の翻訳をやっている身としては、詩のように「これはどんな意味なんだろう?」と一文で熟考する割合が、哲学の方が少ない気がする。
つまり、書いてあることをそのまま理解すればいいだけのこと。
変な話、ハイデガーの本は簡単に思えてくる。
実は、数学も、積み重ねが必要っていうだけで、書いてあることをそのまま理解すれば良いだけだと気づいた。
(デカルトの葉の解き方が本に載っていたので、私はその部分だけをやった。)
なので、「(よく本の中で省かれる)式と式との間の計算」がちゃんと出来たならば、そんなに難しいわけではないと思う。
もちろん、今から新たな数式を創り出すという仕事をしている研究者はすごいと思うが。
数学の勉強は、書いてあることをそのまま理解すればいいだけなので、勉強だけだったらそんなに難しくはない気がする。
要は、やりたいと思う気持ちの問題なんだ。
なるほど。
だから、高学歴にもバカがいるのか。
だから、今の政治家はポンコツなんだ。
勉強しか出来ない人というのは、簡単なことしか出来ない人だ。
ここでディスっているのは、勉強が出来る人ではなく、勉強しか出来ない人のことだ。
同じ職人でも、数学教授が職人の社長をやって失敗した例があるが、要はそういうことだろう。
確かに、若い頃に勉強をしておけば、地頭が鍛えられ、将来に活かせる。
しかし、勉強だけで人生を終わってはいけない。
それは簡単なことなんだ。
ゆくゆくは、自分で発想して何かを創らなくてはいけない。
詩の翻訳だったら、翻訳されたものをそのまま信じるのではなく、疑ってかかることが大事だ。
(フランスの詩だったら、そもそもフランス語の原文をそのまま読める圏内の人たちの気持ちが分かった方が、作者の思いが伝わるはず。)
ピアニストなら、誰かの真似事ならコンクールで2位までしか行けず、1位を取りたければ独創性が無ければいけないというルールがある。
なので、昔、勉強が出来たからって、優生思想を用いて威張るようなことではない。
それは、あなたらしくない。