時々、このブログには気になった詩を投稿していこうと思う。
Facebookに投稿したいところだが、誰も興味を持ってくれないと思うので、ブログに投稿することにした。
今回は、フレーブニコフの詩を投稿することにした。
彼は鳥類学者の家に生まれ、カザン大学では非ユークリッド幾何学を専攻して数学者ロバチェフスキーの精神を受け継ぎ、中退し、その後、ペテルブルク大学ではプーシキンの伝統を受け継いでいる。
そして、日露戦争の影響により日本語で詩を書いたこともある。
彼の作品は、「他のいかなる文学にも似ていない」と言われたほど独創的だ。
下記の詩の翻訳は、小笠原豊樹によるもの。
この詩は結構長いので、途中まで投稿した。
世代的に近いフレーブニコフ(1885-1922)の詩は、スクリャービン(1872-1915)も読んだかもしれない。
スクリャービンは音楽家よりも詩人と交流があったという話も訊く。
ちなみに、アフマートヴァやマンデリシュタームは、スクリャービンの死を知った時、二人で話題にしたそうだ。
あと、スクリャービンと仲の良かったユルギス・バルトルシャイティス(父)の書いた詩は、英語・ロシア語・リトアニア語なら無料で読める。
しかし、バルトルシャイティスの詩はそこまで良いと思わなかったので、ここでは引用しないことにした。
ちなみに、下記の詩を書き終えた瞬間、300文字ジャストであり、時計は0:03だった。
(このブログ記事内の詩ではない部分は、後から書いている。300文字ジャストだったのは、最後に「(続く)」と書き終えた瞬間のこと。)
このシンクロニシティ、Winshotで証拠を残しておこうとしたが、それをやっている間に0:04になってしまったのでやめた。
ってことは、私は詩に興味をもってブログに書くという行動は、神または高次霊から見たら「正しい道」を歩いているということなのだろうか。
ヴェルミル・フレーブニコフ「鶴」(1909年)
V.カーメンスキーに
川水へ傾く広場の片隅で
歴代皇帝の奥津城(おくつき:上代の墓のこと)を踏んまえて
金色の尖塔は燦然と輝き
そのあたりで少年の恐怖の囁き、「夢じゃない!見ろ、あいつら、煙突、酔っぱらって揺れ出した!」
吃(ども)る少年の唇は恐怖に蒼ざめ
視線は中空に釘づけだ。
どうした。現(うつつ)の寝言か。
私は少年に呼びかける。
だが答えず、いきなり少年は駆け出す、その恐ろしい跳躍!
私はおもむろに眼鏡を取り出す。
なるほど、煙突たちが首をもたげている、
壁に映った占い師の指のように。
身じろぎもせぬ沼の五位鷺(ごいさぎ)も
危険が去ればこんなふうに動き出す。
(続く)