あれ?Wifiが復活している。

昨日まで途絶えていたのは一体何だったんだろう。

 

 

私は基本、家で勉強ができない。

特に、風呂に入った後は読書が出来ない。

スマホに書かれていることを寝ながら読むくらいだったらやっているが。

だから、夜中は主に音楽を聴いている。

たまに夜でも集中できる時があるけれど、その時は大概コーヒーを脳内に入れたからであって、そういう時は朝の5時半ぐらいまで目が覚めてしまう。

 

そして、だから喫茶店巡りが趣味になった。

茶店の評価は、コーヒーの味だけではなく、勉強しやすい環境かどうか(居心地の良さ)も大きく評価に考慮している。

 

私はアセンダントが牡牛座なので、本当の性格は、何かをじっくり積み上げていく性格だ。

一日にする勉強の量が今はまだ少ないが、それでも毎日続けている。

なぜ毎日続けられるかというと、楽しいからだ。

勉強が楽しいという心は、失っていない。

そのかわり、一気に何かを詰め込むということが出来ない。

 

 

最近、文系と理系の、勉強における快楽の違いが分かってきた。

文系は、受動的な快楽。

理系は、能動的な快楽。

 

文系は、単語などをどんどん記憶していく。

理系は、どんどん問題を解いていく。

 

文系の勉強は、帰納が多め。

雑多なことがらを記憶していき、一つの理論を作り上げていくこと。

理系の勉強は、演繹が多め。

まず最初に理論があって、雑多なことがらを解いていく。

 

例えば、フランス語の詩の翻訳は、一個一個の単語を調べ、文法という理論を使って、一つの翻訳という答えを得る。

この場合の文法という理論は、よく教科書通りの規則から外れる。

なので、結局、文脈から答えを想像して、一つの答えを得なければならない。

これは、演繹の余地があんまりないので、帰納が多めとした。

 

また、例えば今読んでいる数学ガールについては、本を読んでいる間は帰納だが、能動的に練習問題を解くことで演繹へと変わる。

本で書かれている主人公たちは実験をやって帰納をしていたりするようだが、読んでいるこっちは演繹をしている。

なので、帰納の余地が少ないので、演繹が多めとした。

 

これらの推論はもしかしたら私が間違っている可能性があるので、ご自身が思うことを信じて欲しい。

 

私はどっちかというと文系派の勉強の仕方。