山下恵先生(めぐたん)の、エコールノルマルを出て作曲に生きるという、生き様そのものに惚れる。

めぐたんは、電車とかに乗ってくる女子大生よりもずっと魅力的だと思う。


ただ、めぐたんの師匠である平義久の曲は、良さが分からない。

平氏はオリヴェ・メシアンに師事したそうだが、メシアン劣化コピーにすらなっていないと思う。
あのレベルの作曲だったら、日本の芸大でも出来るだろうと思ってしまう。
せめて、PCのスポティファイを立ち上げて、Mark Solborgのフリージャズ「The Trees」を聴けっていう。
スポティファイに上がっているMark Solborgのあらゆる曲を全部聴いたら、次はMary Halvarsonだ。
そして、Evan Parkerの「Topography of the Lungs」を聴け。
そして、武満徹のオーケストラ曲を、心でじっくり味わえ。
武満の曲は、一般常識や教養のためとか言って、聴いたふりをして聴き流している馬鹿が多いけど、ああいう繊細な曲は深夜に心を研ぎ澄ませてじっくり聴覚に浸透させること。
そこまで行って、初めて現代音楽に希望が見いだせるような気がする。
とにかく現代音楽は、フリージャズを介さなかったらダメだと思う。
今の現代音楽作曲家って、「現代音楽は理論的、フリージャズは非理論的」とか、そんな程度の低いことしか思えない感性の人が多くないか?
そんなん、学生だって分かるよ。
それって、作曲家のプロとしてどうなのよって。
私は、フリージャズに共通の理論はなくとも、一個一個のフリージャズの曲にはそれぞれ理論が眠っているような気がする。
良いフリージャズの曲は、総合的に頭が良くないと作れないと思う。
それは現代音楽も同じだと思う。
作曲の勉強以外にも文学、哲学、工学を大学1年生くらいのレベルまでは齧っていて欲しい。
何でもいい、心が研ぎ澄まされるものに対しては貪欲であって欲しい。
心が動かないものを世間体のために無理やり勉強するその時間は、心が動くもの(形而上のものへの探究)に費やして欲しい。
ちなみに、武満徹は学歴がないけれど、もともと心がものすごく繊細であって、それを死ぬまで保ち続けたからああいう良いものが生み出されたのだ。