ファルグ「嵐の空の黄色い街で..」の翻訳。

(Facebook投稿記事)

 

レオン=ポール・ファルグの散文詩を訳しました。
ガリマール出版社のLéon=Paul Fargue「Poésies」のp.86にあるもので、冒頭は「嵐の空の黄色い街で..」で始まりますが、無題です。

 

紛れもなく、ファルグは散文詩の天才だと思います。
美しい文章を書くことに関しては、私が一番好きな作家かもしれません。
なぜ彼の作品の殆どが日本語訳されていないのか、不思議でしょうがないです。
そして、ネットを見るとなぜか彼の駄作の短文詩ばかりが翻訳されていますが、彼の実力はあんなものではありません。
(それは、サティがその駄作の詩たちを歌にしたからそういうことになったのでしょうけれども、サティのその歌自体も駄作だと思います。)
思うに、ファルグの散文詩を知らなかったら、フランス芸術における本質や本領発揮の美しさ、フランス的な感性を、日本に生まれたというだけで永遠に知らないままになります。
私はそれを知らないまま死んでいくのが嫌だから、こうして自力で翻訳しているのです。
「詩は芸術の本質である」と言っていたのはハイデガーの「技術への問い」ですが、もしかしたら一理あるかもしれません。

 

(本文)

 

 嵐の空の黄色い街で..
 誰かがドアの裏で愛を語る。ガラス窓はずらされ、青ざめた顔を引き伸ばす...穏やかな炎に燃える花々のところの天窓。牛舎の匂いがあなたを舐める小道。
 近隣の暗い通り道と噴水の辺りを、夕暮れの匂いの中、私は独りでうろついていた――私はその古さを見た。彼女たちは太い窓の格子に頭を集める。その目は卑しい悪意に輝く。彼らは油の風呂の中で回転しているようだった。石炭による満面の笑みが彼らの口を引っ張った。彼女らのうちの一人が太い親指で私を指差した。他の一人は少し引き下がって苦しんでいるようだった。――私は公園たちと、ロダンの「美しい遊女」と、それから魔女のシコラックスを見分けた。他の人たちは黒い湖にあるペイリス修道院の病院でするように、洗濯機を動かしていた..
 彼女らが夕暮れ時にサボタージュしていたとき、蝙蝠はその古い瞼を叩き、自らを扇いだ..
 獣たちのトルソーは割れ目の中に沈んだ。日除けの下で、巣たちは速い心拍を打った。燃える日没の塔たちがある空で、一羽の鳥が横切った。一つの焚き火がその行き止まりを完全に塞いだ..
 一つのポンプが岩石のその溝を数えた。一匹の大きな鼠が頭を震わせながら、ドアの間隙を覗き込んだ..一匹の猫が脂っこい煙のふわふわした塊のように、壁の長さに沿って這っていた..
 ――そこにいるのは誰?格子の後ろから震える声がした..
 一つの苦情が沖合いから来た。一つの星が夕暮れを片付けた..
 他の場所では、誰かの愛する人たちが車で待っている..調理場の音が鳴る。近くの通りで、馬に付けた鐘が踊る。その周りでは全ての穏やかな声が、利己的で甘い歌を歌っている..
 しかし夕暮れは奇妙な酩酊を自ら塗り潰した。そして私は暗い通路を彷徨った...