ルイージは、マリオに類似しているからその名が付いたと言われているが。
類似は、それ自体の中では存在しないんだよね。
もしもキャラクターがルイージ一人だったら、そこに類似という概念はなかった。
あくまで、他者があってこそ、差異の一種としてある概念であって。
「他」の他性など、全く問題にならない。
ラカンは他の他性について、こう言ったそうだ、
「胎生動物の性的再生産の結果に基づいた言語による、差異化の結果にすぎない」と。
つまり、こういうことだ。
我々人間が子供を産み、またその子供が子供を産み、そうして人間は再生産され続けて人間の歴史となり、今に至るが。
その人間の歴史に基づいて生まれたのが言語であって。
つまりは、他の他性なんて「言葉遊びにすぎない」ということだ。
これには、キニャールは相当な衝撃を受けたそうだ。