マルグリット・ロン「ラヴェル―回想のピアノ」、読了。

(Facebook投稿記事)

 

マルグリット・ロン「ラヴェル―回想のピアノ」、読了。

 

6年ほど前に購入したものの、興味が湧かずそのまま積読になっていたのですが、ふとした切っ掛けで読み始めたら、あまりの面白さに時を忘れてしまうほどでした。
ラヴェルの音楽について知りたい方は、絶対に読んでおくべき本です。
なお、著者のマルグリット・ロンは、ラヴェル専属のピアニストです。

 

伝記については事前に知っていたことも多く書かれていましたが、今回はラヴェル本人と密接に関わって来た人の書いたものなので、実際はどうだったのかという「生きた内容」が詳細に書かれていたりします。
また、楽譜の演奏上の注意点も、曲ごとに記されています。
ちなみに、ラヴェル自身は「ピアニストのオリジナルの解釈などせずに、楽譜に書かれた通りに弾くべきだ」という姿勢を崩しませんでした。(ちなみに、リストはそうではなかったそうです。)

 

さて、ボレロ誕生の秘密について。
イダ・ルビンシュタインというバレリーナは、アルベニスの「イベリア」を踊りたかったため、ラヴェルにその曲のオーケストレーションを依頼しました。
しかし、他の舞踏家と作曲家がそれの独占権を持っていることを知り、ラヴェルは唖然として苛立ちました。
そこで代わりに誕生したのが「ボレロ」だったのです。
もちろん、ご存じの通り、ラヴェル自身はボレロを自分で酷評しており、レコードも途中まで聴いたらもう続きを聴くことはなかったほどです。
しかし、ボレロの上演は大成功しました。
つまり、ボレロを依頼したのは結果的に、イダ・ルビンシュタインという一人の巨匠バレリーナだったのです。

 

あとは、私がラヴェルの音楽で上位に入るほど好きなものの一つが、「ステファヌ・マラルメの詩による3つの歌曲」です。
この曲は、実はシェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」に影響を受けて作られたものだと知り、嬉しくなりました。
もちろん、シェーンベルクのような12音技法ではなく、ラヴェルはあくまで調性音楽上にて複雑怪奇なことをやってのけたのが、この歌曲です。
そして、3曲目の「臀部より出でて、ひと跳びで」は、マラルメの詩の中で最も難解なものだと思ったからこそ、ラヴェルは採用したそうです。
ちなみに、ドビュッシーマラルメの詩で3曲の歌曲を作っており、それが対抗心なのか面白半分なのか著者も知らないとのことですが、同じ1913年のことです。
二人とも、「ため息」と「空しい願い」を選択しますが、3曲目だけラヴェルは「臀部より出でて、ひと跳びで」、ドビュッシーは「扇」を選択しました。

 

更には。
「鏡」の第2曲目「悲しい鳥たち」は、ピアニスト兼作曲家のリカルド・ヴィニェスに献呈されたものですが、そのリカルド・ヴィニェスはパリ音楽院時代からの親しい友でした。
ラヴェルボードレールヴェルレーヌマラルメエドガー・ポー、ユイスマンスなどの文学を教えたのは、学生時代のヴィニェスだったのです。

 

そして、ラヴェルがアパッシュという芸術家グループに所属していた時代、詩人のレオン=ポール・ファルグと出会い、親しい友となります。
ファルグが言うには、ラヴェルが大作曲家になるまでの経緯を、アパッシュの人たちはリアルタイムで見ていたとのことです。
ちなみに、この若者芸術家集団が街を歩いていて、新聞売りとぶつかった際に「このごろつき(アパッシュ)ども!」と言われたのが切っ掛けで、アパッシュという名を採用したとのことです。
個人的に嬉しかったのは、私の大好きなファルグがラヴェルと親友関係にあったということで、やっぱりラヴェルの音楽はファルグの詩に影響を受けているじゃないか!と、点と点が線に繋がる証拠を得たような気持ちになりました。

 

ちなみに、著者が言うには、ラヴェルの生涯での恋愛経験はほぼゼロだったと言っても過言ではないとのことです。
一度だけ、女性に「結婚してくれ!」とせがんだことがあったそうですが、その女性は「まあラヴェルったら、私と結婚してくれですって」と笑われてしまい、繊細で内向的なラヴェルはそれ以来、心を閉ざしてしまったとのことです。
そして、恋愛の代わりに人と友達関係を築くということで、心を埋めていたとのことです。
ただ、本人は理想を描いたような紳士だった上に、周りには常に女性の友達が多くいたにも拘わらず、このような生涯を送ったということ、更には、「アデライード、または花言葉」のように女性の脳のようなロマンティシズムを持っていたことから、ゲイ疑惑を唱える人もいます。
私は今の所、ラヴェルはゲイ寄りのバイセクシャルであり、ごく稀に良いと思える女性にめぐり逢えたその時だけは「結婚してくれ!」とせがんだのだと推測しています。

 

最後に。
著者も言うように、ラヴェルは生涯に亘って決して傲慢にならず、人には親切に接し、自身のことは常に客観視するといった、理想のジェントルマンであり、理想の人間像だったそうです。
つまり、能力もさながら、性格も非常に良かったのことです。