「分からないことの壁」を乗り越えて行くか、もしくは優先順位として避けると判断するか、この道のりが学問というやつなんだろうな。
私は常に曖昧なものの考え方があって。
それはつまり、可能性を模索するからはっきりとした答えが出ず、曖昧なんだ。
スピリチュアルなんて、まさにその道だよ。
ただ、私よりも頭脳的に馬鹿な人の方が、スピリチュアルを上手く使いこなしていて人生が上手く行っているとしたら、馬鹿なのは私の方なのかもしれないけどね。
スピリチュアル的な記事をFacebookに書いていて、人々から馬鹿にされた時、こう思ったよ。
この人たち全員、将来的には私よりも下のレベルの人生しか送れないんだろうなって。
なぜなら、未知のものに挑戦する癖がないから、積み重ねて来たものの質が私とは全然違うんだよ。
懐かしいな、つい最近までそんなこともあったよ。
人の魂は、優越感を持つことを望んでいない。
魂は神の一部だ。
優越感の波に振り回されて、その快楽と引き換えに大事な直感や優しさ(=感性)を失うことを、人は望んでいないということだ。
神と一緒に立てた人生計画は、大雑把には占星術のホロスコープに現れる。
引き寄せの法則で成功したとしても、そうだ。
その場合、引き寄せについて知るタイミングや、学ぶタイミング、引き寄せを使いこなせるようになるタイミングまで、人生計画通りだったりする。
人生計画は、常に途中から変更されており、どんな状況でも脱出出来て幸せになれるように、神はこの世を作り替えている。
(占星術が当たらない人はまさにそれ。)
なぜなら、幸せとは、神と同調していることだから、神は皆に幸せになってもらいたいんだよ。
ただ、動物や植物はエゴイスティックなので、まずはその性格を矯正するために、敢えて苦難な死に方を与えたりする。
しかし、人になったらそれはもう魂の優等生なので、神と同調すること(=幸せになること)を魂の課題としている。
自分を天才だと思うと、天才に思われるようなことを引き寄せたりするが、それは実力とは関係ない場合も多い。
自分が天才だと思って優越感を持ってしまうと、いつの間にか強迫観念が現れてしまい、それにより自分よりも下だと思っていた人に抜かれそうになると途端に慌てて努力をしたりする。
それは、神と一緒に決めて来た道から外れてしまっている。
幸せから外れてしまっている。
唯物論者って、神やオカルトを信じている人たちよりも、よっぽど思い込み激しい場合が多いよね。
特に、マイナスの思い込みが激しいんだよ。
だから、今更引き寄せを信じてしまうと、今まで平気だったことが「逆引き寄せ」によって出来なくなる可能性があり、そのことが無意識に怖いんだろうね。
でもそれは、怠慢なんだよな。
神は恐らく、皆に引き寄せやオカルトを信じて貰いたいんだよ。
それにより、地球を天国にしたいんだよ。
引き寄せで願いを叶えるには、常に不純物が混ざって叶っている。
人は、100%信じることなんて出来ない。
必ず他の可能性も少しは信じている。
それでも、願いは叶う。
不純物が混ざった状態の、その願いが常に叶うのだ。
だから、こう思えばいい。
「え?こんな幸せなことが起きたの!?」とか。
「これから何が起こるのか分からないのが楽しみで、うずうずしている!」とか。
こうすれば、予測した以上の幸せか降って来る。
曖昧なもの、不確定なものへの感情は、上手く使うことだ。
(しかもそれは、無闇やたらに他人に言わない方がいい。基本的には、自分の中だけで思ってワクワクしておくこと。)
未来について設定するのはスタンダードな引き寄せの技術だが、未来について敢えて設定しておかないというのもまた引き寄せの技術なんだよ。
人それぞれ、好きな方を使えばいい。
ああ、断片的に色々書いたが。
やっぱり葉巻を吸うと、インスピレーションが降りて来るね。