ジョン・コルトレーンの「Om」って、スルメ曲なんだよなぁ。

聴けば聴くほど毒が出る。

(童子-Tがラップのことを「聴けば聴くほど身体から毒が出る」って歌っていたけど、ラップだけじゃなくてオームも聴こうよ。)

最初は、怖いとかグロいとか思うだろう。

私も、いつも聴き始めはぞっとする。

でも、聴いているうちに「この人の心の傷や苦しみは、俺の奥深くに眠っていたものと同じ性質のものだ」ということが分かって来て、それが癒しに繋がって来る。

あの子(新しいお弟子さん)は師匠の別荘にあるクレデンザでこの曲を聴き始めた所、「ちょっとこれはグロいですね」と言って、最後まで聴けなかった。

一方で、エヴァン・パーカーの最高傑作「Topography of Lungs」は喜んで最後まで聴いていたみたいなので、やっぱりフリージャズの差が分かる子なんだろうな。

フリージャズに良いとか悪いとか好みとかあるんですか?って、あるよ。めちゃくちゃあるよ。

楽しそうな曲にはそれにしかない良さがあるように、苦しそうな曲にもそれにしかない良さはあるんだよ。

訊いているか?ラヴィ・シャンカールさんよぉ?

(シャンカールはコルトレーンの憧れの存在だった。しかし、シャンカールはコルトレーンに向かって「君の音楽はなぜそんなに苦しそうなんだね?」と言ったため、コルトレーンはショックを受けた。)

ちなみに、後期コルトレーンでは宗教にすがる苦しそうな名曲ばかりが並んでいるけど、中には宗教的なラリラリハッピーな曲もあって、それは「Infinity」というアルバムだ。

そして、私にとってのコルトレーンの個人的最高傑作は「Stellar Regions(星の領域)」かな。

とにかく、後期コルトレーンが非常に好きなんだ。

略して、こきこるだよ、こきこる。

 

 

あと、現代クラシック音楽でのスルメ曲といったら、メシアンの「鳥のカタログ」かな。

何度も言うように、メシアンピアノ曲は児玉桃さんの演奏でないとダメ。

並の演奏者のやつを聴いても、ただ鳥の声をそのままピアノ曲にしたようなつまらない音楽に聴こえてしまうし、その音源しか知らないと「メシアンってそんなに良い曲じゃないよな」ってなっちゃうから。

鳥の声をそのままピアノ曲にプロットしただけでは、この原因不明な奥深さは湧き上がって来ないから。

そして、一曲聴く前にまずメシアン直筆の解説文を読んだ方が良くて。

そうしないと、曲ごとに設定された情景が分からないから。

キバシガラスはアルプスの断崖絶壁、モリヒバリは沼地が舞台であるように。

曲ごとの解説文は、スマホでスクショして持ち歩き、電車の中で読んだ後、歩いている時に音源を聴くのが良い。