高橋智子「モートン・フェルドマン〈抽象的な音〉の冒険」、読了。

(Facebook投稿記事)

 

高橋智子「モートン・フェルドマン〈抽象的な音〉の冒険」、読了。
私の推している水声社からの出版です。

 

モートン・フェルドマンの人生について、また、その時期ごとに作られた彼の楽曲について書かれた本です。
彼はアメリ実験音楽における現代音楽の作曲家であり、ユダヤ人であり、1987年に61歳にてこの世を去りました。

 

楽曲について、フェルドマンは1950年代に図形楽譜の作曲を始めます。
そして、フィリップ・ガストンジャクソン・ポロックなどの現代アート画家たちや、ジョン・ケージなどの現代音楽作曲家たちとの親交がありました。
フェルドマンの図形楽譜は、ジャクソン・ポロックなどが用いていたアクション・ペインティングから着想を得たものです。
これはどういうことなのかというと、図形楽譜では五線譜と同じように音が左から右へと進行し、どの程度伸ばすかや、いくつ音を重ねるか、何拍休むか、などといった指示が書かれているのです。
また、図形に数字が書かれていると、その瞬間に重ねる音の数を意味しています。
しかし、これらは皆、規範通りでさえいれば「どの音を鳴らしても良い」のです。
それこそが、絵具を付けた筆をパッと振って絵にしたアクション・ペインティングの、あの抽象的なものを彷彿とさせるのです。
「ProjectionⅠ」などがその図形楽譜作品であり、デビット・チューダーによる演奏が有名なものとなっております。
ちなみに、デビット・チューダーはわざわざそれをまた五線譜に書き起こして演奏したそうです。

 

なお、フェルドマンは「音それ自体の価値」について重きを置いた作品を作って来ました。
なぜなら、自然の要素を突き詰めていくと、そういった音楽になったとのことだからです。
しかし、ジョン・ケージはその逆であり、音楽の要素を突き詰めていくと、自然に回帰したとのことです。
ケージの「4分33秒」という作品がまさにそれで、ピアノの蓋を開けて何も演奏せず、4分33秒経ったらまた蓋を閉め、それで音楽は終わりです。
その間、演奏が始まらないため、観客からはざわめきの声が聴こえて来たと思われます。
そのざわめきの声すらも自然の要素であり音楽であるというのが、ジョン・ケージの考えなのです。

 

そして、フェルドマンの図形楽譜での作曲活動は1969年まで続きましたが、彼は1970年を境に五線譜作品へと戻り、それ以来、図形楽譜に戻ることはありませんでした。
その理由は、演奏者が自分の意図と違う演奏をすることに耐えられなくなったとのことでした。
その後、画家マーク・ロスコと建築家が作ったセント・トーマス大学の「ロスコ・チャペル」については、完成間際にてマーク・ロスコ自身が自殺によってこの世を去ったことにショックを受けたフェルドマンが、同名の曲「ロスコ・チャペル」を作曲したりします。
画家フィリップ・ガストンとは親交があったものの途中で絶交してしまいましたが、それでも心の根底では繋がっていたからか、ガストンのための音楽を生涯で3つ制作しています。

 

また、70年代以降になるとバニータ・マーカスと共にトルコへ旅に出て、現地の絨毯を沢山目にしています。
中でも、織り糸を少しずつ染めて、同系色によるグラデーションの効果を引き出す「アブラッシュ」という染色法に着目します。
その時の楽曲の一つが「なぜパターン?」という題名の作品です。
そして、トルコにあるアナトリアの村や遊牧民の絨毯の場合、色彩が必ずしもシンメトリーではないことに着目します。
そこで「歪んだシンメトリー」という方法を、作曲にも利用するのです。
例えば、普通だったら4拍分の長さの所に4拍の音符を入れたりしますが、そこを「4拍分の長さの所で、5拍を演奏する」といった曲にします。
もちろん、この手法は西洋音楽において昔からありましたが、その「歪んだシンメトリー」のみで作られた音楽を作ろうとしたのがフェルドマンです。
フィリップ・ガストンのために」という曲では、1小節目においてフルートが3/8、ヴィブラフォンが3/16、ピアノが1/4拍子で始まります。
そして、次の小節では別の拍子がそれぞれのパートごとに用いられます。
ただし、これは小節が増えるにつれて、全楽器の辻褄がちゃんと合う小節に辿り着くのです。
他にも、この曲のある小節では音を重ねると「ファ・ソ♭・ソ・ラ♭・ラ・シ♭」の音階になり、それをピッコロ、ヴィブラフォンチェレスタに2音ずつ振り分けて重ねているといったことも書かれていました。

 

以上、中身の濃い本ですが、掻い摘んでまとめるとこのような感じになりました。
ただし、ここには書ききれなかったことも沢山あり、実際にこの本を購入されて読まれることに勝るものはないことをここに述べさせて頂きます。
なお、この本の残念な所は、著者の好みに即して書かれたものだからか、私からすればフェルドマンの最高傑作と言っても過言ではないと思われる「フォー・バニータ・マーカス」や「コプトの光」についての記述がかなり少なかったことだと思われます。

 

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