楽譜から全体の流れを読むとともに、楽譜通りに弾いてはいけない。

(Facebook投稿記事)

 

ピアノの演奏について思ったことですが。
「音量を0~100の間だとすると、ppは20で、mfは65、ffは100...」
...ではないんですね。
クラシック音楽において、DTM作曲の打ち込みの感覚は捨てた方が良いです。

正しくは、
「この小節のこの時のppは、左手が15で右手が一瞬60になっても良い」
「この小節のこの時は、今までの流れに乗っかって、一瞬pがfになっても良い」
などと、無理やり数値にするとこういう感覚です。

要するに、全体の流れによって、pが30だったり60だったりして、fが50だったり100だったりする、ということでしょう。
楽譜から、全体の流れを読むということ。
もっと簡単に言うと、楽譜通りに弾いてはいけないということ。
確か、ピアニストの○○○君がこれに近いことを言っていた気もしますが、これが本当のヨーロッパ人の感覚なのでしょうね。

ちなみに、武満徹などの日本人の作曲家の場合だと、ppだと言われたら本当にppで弾かなくてはなりません。
楽譜がめちゃくちゃ精巧です。
そこら辺が、アバウトなヨーロッパ人作曲家との感覚の違いなのでしょうね。


例えば、日本画は精密さを売りにしていますが、ヨーロッパの絵画は抽象的なものの中に真理を見るといった感じですよね。

それは音楽でも同じなのかもしれないと思います。

 

さて、児玉桃さんのラヴェル「夜蛾」の演奏を、下記に引用しておきます。
日本人ながらもすごくフランス的であり、音符の配列以外は楽譜通りの演奏ではないです。
「夜蛾」の中では今のところ一番好きな演奏です。