「麻薬(La Drogue)」レオン=ポール・ファルグ

20世紀初頭のフランス文学である、レオン=ポール・ファルグの「麻薬」を翻訳しました。

恐らく、「麻薬中毒者の妄想をエッセイに書いた」という設定なのでしょう。

意味不明な言葉が多いですが、それは恐らく曖昧な美しさを出すためにわざとそうしたのであり、翻訳自体に間違いはないと思います。

また、文章がいちいち美しいので相当な推敲をしたのだと予想されます。

なお、句読点(、。)については、フランス語原文の句読点(, .)に忠実に訳しました。

 

 

(以下、本文)

 

「麻薬(La Drogue)」レオン=ポール・ファルグ(Léon=Paul Fargue)


           マルセル・ラヴァルに。

 

 この魅惑の地で、私は一種の不安を持ってそれぞれの物事を思い巡らしていた。その街で私が探し当てた全てのことにおいて、私の目が示したように、そのようなものは何も見えなかった。それは全てが変態しなければならなかった、いくつかの呪文による地獄の力によるものに思えた...

           アプレイウス


もし太陽と月が怪しむのならば、それらは野の上から消えるだろう。

           ウィリアム・ブレイク


 私は長い間、それを疑っていた。私は確信していた。2、3の会話で私はそれを言ったのではないか?私は話したのか?私は彼らが聞いたことを、彼らの眼差しから見て取れなかった。彼女が私について考えていたような、そのことについて私は考えてはいなかった;彼女が私にしてくれたように、私はしなかった。私はもう戻ることはできなかった。充分に直され、充分にまとめられた、私自身のその動機を持ち直すということが。この件を何とかしてくれないか?そして誰か私を何とかしてくれないか?私の目の前にいたのは誰?その鈍い声はどこから上がってくるのか?それらの確証はどこから来たのか?柔らかくて鈍感なキノコのような、怠惰な人たちのバロックの言葉は、どこから来たのだろう?話し言葉への多くの自信、人への多くの自信。その街路にて、私は大きな注意を払って巡っていた、前文、後悔、気分を害する家たちの傍ら、ガラスを恐れて、猟師の罠を通り抜け、突然、夜の大気によって問い質され、ブティックの舷窓の間の漂流物のように滑っていき、コーヒー豆の中で乾燥し、くたくたで、巻かれて、銅を噛み、酷い格好をさせられた質問によって拷問され、ある種の故障によって長い間修理された、白さの中の厄介な点の不足。いつも左に深淵を感じていたパスカルを、私は信じていた。問題の発声だけを私は見ていたのか?彼は私が子供の頃から騾馬的で、噂でいっぱいで、それは湿った光線と喜びの涙であり、怒りや沈黙の状態であり、私の両親の医者が僅かな不調を識別したところ、それは間違いない、と彼は言って、私の初期の活動は、鮮やかな印象に圧倒され、それが私を裏切ったとしても気にしなかったし、それが私を苦いキスでいっぱいにした、ショーケースの中の貝殻のような不可解な不思議から、博物学辞典の地図や、海事博物館のミニチュア船、または私が所有できなかったリッチで馬鹿げたおもちゃだ。私は不可能だという気持ちをこれまで以上に感じたことはないが、不確実な質量をもたらすために私が機械のように働いて得た特定の熱の上昇ではない場合、しかし少なからず、知覚できない穴の中で、それは針の目の大聖堂のようだった;そうでもなければ、木製の馬の上で、槍で自殺せよという命令が私たち全員に届いたのだった、死刑の下で、メリーゴーラウンドが完全に停止する前に、それは減速し始めていた、私の母の目の前で、その長い獣を繋ぎ合わせるのには苦労した、それは雲のようにねじれて、もはや私を救うことはできなかった。
 しかし、その生活には耐えられなくなっていた。雰囲気が凍り付いていた。彼は食事中に突然私を起こして、私が立っていることに気付き、横にならせて、群衆の中で走り、文脈から外れて身なりも外し、全ての心の箱を開けていた。当然、眠ることはできない。私はもうきちんとしたことは何もできなかった。私は自分の仕事を整理していた。夜が迫り来る御者のように私は急いだ。病から身を守らない患者のように私は苦労したが、しかしもう少し低く、もう少し役に立たない動きとともに、そして前日よりも少し激しく吹いている。それは水平または垂直に描くのに、あまりにも時間がかかった。それは勝つか負けるかしなければならなかった。どうしてそうなったのか、私には分からない。科学者は彼を疲れさせる問題を手放す、鉛筆が滑るという、また、噛みついたまま眠りに落ちるという問題を。ある日、さわやかな眠りの朝、彼はその解決策によって目が覚めた。分類が行われた。私は木をたくさん揺さぶったので、腐った果実が木から落ちた。羊のように怯えた、その被告人は、机に座った。尋問はとても緊張していたので、彼女は歌を歌った。私はついに警告を受けた。私は立ち上がり、去った。遊びに走りに行くように、人が幸運を感じる時のように。問題の発声とその解決策が衝突した。全てが明らかになった。彼は従うしかなかった。私は降りてきた。私はそれに従った。なぜこれが代わりのものではないのか?彼はどんな兆候で私の目を覚まさせたのか?私の記憶では知覚できない。彼は背が低く、身なりが良く、まっすぐに歩いていた。私は何の痛みも失くしたものもなかった。彼は線を引いた、止まった、入った、出た、蟻塚の美術館を。彼は通りすがりの人と同じように一日を過ごした。彼はチーズの獣としての役割を果たした。私は彼がホテルの主人と宮殿の常夜灯のショーウインドウの中に沈むのを見た。私は全ての幸運を待っていた。彼はそこに2時間近く留まったが、それが最も私を悩ませた。ついに、彼はここに生き返った。彼は私を見えないロープで、トレーラーのように引き摺る。彼は不安がって長い間公園を巡り歩くが、それは彼が約束をすっぽかしたと思えるほどだった。いいえ?再び出発する。煙草屋を3つ。適合しない街...ホールの数々、サン=デニ通り、教会の大通り。私は愛するもの全てを通り過ぎる。僻地の中、車庫の線路の上で、私たちは失われたスタイルの娼婦の建築物の生け垣に沿って歩き、蒸気機関車を操縦するように、あるいは、操舵室の舷窓を点灯するように、転がり込む。冗談じゃない、私の男に目を向けろ!それらのごまかしは少し広い。日が経つにつれ、足がこわばる。彼は世界中を巡るのか?彼はコーマルタン通りの出口があるオリンピアを通り抜けた。彼はピガール通り18番とサントノーレ郊外56番への2つの出口のある家に入った。彼はそこから堂々と出てきた、まるでじゃじゃ馬だ。しかし、糸が弛んでいるのを感じたので、私は目を開け始めた。彼はロワイヤル通りを渡った。その瞬間、交通渋滞で鼻を折る中で、私は彼を失った。私は彼が、再び歩き始めた小隊の中に混乱して、車に乗るのだと思った。私は車に飛び乗ったが、そこで、私はもう確信が持てなかったが、あらゆる機会を追った。この追求はこれまでのところ、私に疑いの心が侵入し始めたという形で私を導いて、親密な鐘で戦った...私たちはビュット=ショーモン公園にいた。車は減速したようだった。私は運転手に促した。私たちは追い越した。それは空っぽだった。日が落ちていた。これ以上することはない。競争は落ち着き、私はボリヴァール通りに戻って、誤った計算の束を振っていたら、私の男がその足で、大きな歩幅で歩き、その頭は頑として、ねじを緩めたように後ろを向き、こちらに来るのを見た。私は彼を避け、自分の足跡を辿って戻った。私は出来事が殺到しているのを感じ、私の心臓が鼓動するのが聞こえた。私は狩りを再開したが、彼の頭のせいで、反対側の歩道で彼を追いかけた。彼は私に気づくことなく事をし始めた。ミニョット通りの中で、それからソリテール通りの中で、そしてこれが彼に起こったことだ。
 彼の容態はぎくしゃくして、それからぎざぎざ歩きをし、彼の頭は奇妙に縁取られてしまった。それから中央が明るくなり始め、透明度によって視界に残り、そして煙ガラスを通したようになって、足場全体と、全ての止まり木、彼がポケットに持っていた全てのもの、彼が食べた全てのもの、カルダンのハンドバッグのようなもの、それから強い染料による花輪だが、それはメチレンブルーで処理しなければならないし、そして通行人は珍しくなっていた、そして家々、そして空。突然、彼は立ち止まった。私は自身を後ろに投げ出す時間もなかった。歩道は、まるでロティサリーの円形の霧雨に濡れているかのように、彼の足の周りで円を描くように暗くなった、彼は地面の中の静かなガラスの鞄のように、透けて沈んだ。そこにはパチパチという低い音がして、歩道はかなり大きな拍手とともに、2つか3つの大きな水泡が隆起して、全てが正常に戻り、私は勝った。
 それ以来、私は狩りを諦めていない。私はいつ家に帰ったのだろう?そんなに、そんなにそれは真実ではないのか!その多くは真実ではない!それは非常に多くの異なる方法で起こる!硫黄ガスの噴出口から放出するようにゆっくりと煙を出すものや、骨格の綱具のように地面から離れるもの、子供が手放す風船のようにほとんど見えずに退けるものがある。ストレートヘアの女性が2階に来て、スカートを蝋燭の受け皿のように捲り上げた。他の人たちがそれらを見ているかは分からないが、私は見ている。他の人たちは多孔質の壁に沈む、あたかも吸い取り紙に吸われるように。ある日、私はそれらのうちの2つが工場の壁の同じ場所に沈むのを見た。夜は私たちを取り囲んだ。彼らの二重の輪郭は、格好良いインクのように読みやすくなり、長い間、石の上で明るいままだった。彼らはどこにいる?私はこの羊皮紙の写本の壁を離れることができなかった。私は逃げる。杖と鞄を持って頭の上から足の先まで武装した、熱い口から出た埃の幽霊のように、あなたの足元近くの場所から現れる人がいる。そして交換があり、償還があり、悪い番号、代替品、切り替え、処方箋、補充、志願者、ああ、全ての種類の資源の組み合わせ、グロテスクな動き、喧嘩の中で失ったもの、一本の静かなアブラナ、慎み深く生から死へと行ったり来たりすること。生と死の理由はバランスが取れている。愛と死は海の中で彼らの最初の両腕を作った。彼らは互いに絡み合い、石の中で互いを追跡する。彼らはどのくらい両腕をともに作ったのだろう?そのぎっしり詰まった本文の群れを君に課す。煙を吹く木管、ボールの上を歩く曲芸師たち、入り江に戻された不審なボート、肥満の空き巣たち、石だらけの海にいる撞木鮫たち、街路の岩礁に引き裂かれる者、徐々に解き放たれる者、空の上の脂ぎった縫い目。オルガンを聾するタムタムの一種、柔らかい棍棒による死の踊り、追悼の手紙の大移動、バラバラな注文、粘着性があって響き渡る物々交換の、貪欲なゴキブリたちの、おしゃべりな芋虫たちの交配の、数字でいっぱいの談話のための、測地線の境にある田舎の部署は、汚くて薄暗い一つの泡のような家々の割礼を受ける。それは、誤解を招くような類似点、訪問中の悪魔との思い出、幽霊たちとともに登場すること、辺獄の時期の前に来た顔ぶれ、盗人たち、モデルたち、早期の生まれ変わり、死からの亡命者たち、蒸気を出す雄牛の口のように膨れた、一時的に形成された犯罪思想、衣服泥棒のアストラル体を解きほぐす。誰がカフェで君の外套を作ったのか?探さないでくれ、それは別のものではない。なんてこった!揺るぎない忍耐は君にそれを習得させる。もし君が千匹のウオジラミの中の一匹のウオジラミの闘争を収拾させるならば、もし君が彼から目を離さないならば、君は彼を魅了するだろう。他の者たちは何倍にもなる震えの中で立ち去り、彼は大きく目を開いてその場に留まる。君は田舎にいる一匹の昆虫のためにも同じことをする。君の視線は彼に重くのしかかる。君は後ろを向けばそれを見ることができる、ペンチで真空を刈り取るのを、その翅の鎧戸を叩いて組み立てるのを、祈りたくなるような小さなモーターを発見するのを、そして、君がそれを手放すとき、一つの悲しい言葉とともに空へ溶ける...これらの小さなもののように、私はその男たちをつまんだ。それから私は見た、そう、私は見た:そこに奇妙な身体があったことを。ある日、私は友達に3回出くわした。そのうち2回は彼ではなく、見間違いだった。3回目のとき、彼は私に話しかけた。私は怖くなり、群衆の中へと動いた。交差点のパン屋の女性は、彼女のもとに来たことのない最も軽い恋人に、2年間騙されていた。彼は人を見分けなければならない。それらに従うよう、私は君によく教えてあげよう。私はスーツに帽子姿で1時間も歩き回らなかった彼らを掴んだ、そして私は彼らが地面に沈むまでの瞬間に抱きしめた。漏れ口の水脈には多くの栄養補給地点があり、多くの神聖な落とし穴があり、不可解な罠、神秘的なハエトリグサ、降伏する蓋、陥没した点、石の喉頭、曖昧な隔離、裁判なしの処刑がある。私は時々、群衆の中から奇妙なベルの音が聴こえる。私は車の雑音と、広く響きわたるよく聞こえない警告を区別する。誰かが言った:嵐になりそうだ。正午近く、感覚が高まる。夕方の終わりに、冷たい流れ、もはや残骸を投げたわけではない回転する石、服を脱ぐ窓の明かり、そして、平和だったことを覚えている。だからこそ、私は孤独を解き放ち、みっちりと得た科学を詰め込んで、暗闇の中でそれを吸い入れる。

 

 ある日、神聖な霊が私たちを襲う。物質である私たちは、その精神が固まった。彼は炎の中でそれらの重い不燃性のハエを感じるのにうんざりしている。彼は腹にかゆみを感じた、彼の血でできた糸の最も端の部分によって、これらの塩水の泡、計算、汚れた破片、けちな干し草、悲しい予約、ぐにゃぐにゃな正弦(サイン)、この刺激的で耐え難い疑問、それは私たちだ。だからこそ、彼は私たちに浮標(ブイ)を投げ、薬を手渡し、毒殺し、反芻し、飲み込んでしまう。還元触媒、精神的な沈殿物、電光石火の化学的解離、あなたが望むものなら何でも...私たちが通過するどの時点でも、どの空間の道でも、そしてどんな変身でも、何世紀にもわたって、私たちはこの想像も付かない精神によって交流できることを光栄に思うだろう。時々、計り知れない時間をかけて、世界は縮む。それは私たちが見えなくなるまで、時間、空間、物質を一瞬消してしまう。しかし、誰がそれに気づくのだろう?なぜなら、世界は大規模なままだから。君はおそらく、生活するのに適応できないだろう、君の両手、君の遅さ、君の特有の可塑性、君の計り知れない直感のせいで。シーッ!君の神の感覚がうつる理由はどこにもない。私は時々その帆桁にしがみつき、輝きを求めて四次元の中を飛ぶ。しかし、私は貧しい男だったし、自分の穴や、詩撰の小さな巨匠、友情または愛の天才である微細な昆虫の中に留まりたかった。あまりにも遅い。私はもう芸術家にはなれない。私はもう冷静ではいられない。私の後ろで、夜の電車のように私を加速させる悲鳴を上げるのが聴こえる。もし私が距離を保ちたいならば、私は何かによって自分自身を狩り殺す必要があり、黒人ダンサーの一人を追跡する必要があり、彼は非常に多くの害を引き起こし、彼のしたことに巻き込まれた人たちは男性ではない!私は彼らに従い、彼らの考えに食い尽くされ、媒染剤のような彼女や、無関心、または恍惚によって溶かされる。彼らはもはや永遠の細胞質遺伝子には反応しない。彼らはもはや、彼らが存在していると神が告げるのを聞かない。だからこそ、彼らは自身を疑って崩壊する。まるで敗血症で死ぬように、彼らは懐疑論の攻撃で死ぬ。神に対する感受性の違い。しかし私はそれがどうなるのかが知りたい!ああ!私は活発な西洋の幽霊だ!私がしばしば自問するこの変化を、私はどうするのか?私は男たちや、一台のバス、または神を、醸成し、私自身を揺り動かし、狩らなければならない。革でできた君の鞭によって地球の尻を打ち、君の小さな男が道を走る、バボニン。釈迦牟尼は君のために何もできない、苦しむだろう!