吉野圭さんへ。いつもありがとう。

https://shoku1800.tokyo/2023/06/post-8212/

↑吉野圭さん、この番組、私も見ましたよ。

見たというか、1分くらい見て「ああ、これはいつもの中共プロパガンダだ」と察して、そっとテレビを消しました。

 

でも、今人々の間でトレンドなのはこんな馬鹿番組ではなくて、仁義と人情の「鬼滅の刃」の方です。

私の母が言うには、意外とおばちゃん連中が鬼滅の刃のアニメを見ているようです。

 

さて。

飯島愛は台湾の占い師に「あなたはもうすぐ死んじゃうからね」と号泣されながら言われたという。

そのことを飯島愛本人がテレビで話しており、その時の動画がYouTubeに投稿されていた。

今、その動画は消されている。

消したのは間違いなく、中国共産党ネット工作員「五毛党」の連中だろう。

占いって、ちゃんと予知能力があるんだよ。

でも、消すってww

要するに、無神論で残虐性のある共産連中は、「オカルトが実際に存在する」っていうことが人々の間に広まったら困るんだろうね。

消すっていう行動に出るということは、あいつらは「オカルトが実際にある」っていうことを間違いなく知っているんだよ。

知っていて、逃げているんだよ。

それ、現実逃避だよ。

オカルトが存在するっていうことは、死後にも魂があり続けるということ。

また、占いというオカルト現象は、未来透視を意味する。

これらのことは唯物論で考えても答えられないし、唯物論は普通に間違っている。

そして、死後にも魂があるということを前提としたら、輪廻転生に辿り着く。

そして、輪廻転生から派生して考えると必ず「自分が生まれて来た目的・理由」という所に辿り着く。

そこまで考えたら、残虐行為をしている自分が何となく「間違った方向に向かっている」ということへの察しが付くはずだ。

今私が言ったこれらの簡単な思考から、共産連中はずっと現実逃避をし続けている。

そういうことだ。

中国共産党なんて、所詮はその程度だっていうことだ。

オカルトを前提に考えたら、簡単に論破される連中。

こんな連中が、いつまでも勝つわけないよ。

 

で、私は少し前にこのブログで言ったことがあって。

吉野圭さんは「悪い魂がまたこの世に生まれて、悪いことをし続けている」と。

私も悪と戦ってくれている吉野圭さんには日々、多大なる感謝をしている。

でも私は言った。

「そんなことあるわけない。吉野圭さんは、結局、頭があんまりよろしくない」と。

 

その理由をここに書いておく。

まず、この世っていうのは一応、ある物質とある反物質のセックス(ビッグバン)で生まれたことになっている。

私は、それが本当だとしても、

「じゃあその『ある物質』と『ある反物質』が生まれたのはどうやって?」、

「結局、それら二つの物質が生まれる前の一番最初の状態はどうだったの?」、

って言う。

何も力を加えることも出来ず、何の加速度も加えることの出来ない「無」から、いきなり「有」が生まれた?→それを唯物論で説明しろと?

もうはっきり言うが、唯物論でこの世の誕生が解明される日なんて、永遠に来ないよ。

そして、これもはっきり言うが…

この世そのものが、「神」の身体なんだよ。

 

神は、我々生物・植物の中に魂(神の一部)を入れた。

「挿し木」の要領で、神の魂を切り取って植えたのが、我々の魂だ。

だから、我々は今、生きている。

我々生物は皆、この大元の神様の一部なわけだ。

(もしかしたら、パワーストーンなどの石も、神の魂の一部が挿し木の要領で入っているかもしれないけどね。月とか太陽とか星とかも。)

 

そう考えると、吉野さんの言う「悪い魂がずっと悪いことをするためにこの世に生まれ続ける」なんていう仕組みが、本当に存在すると思うのか?

神様という「この世を作っている側の存在」が、そんな簡単なミスを設定するのか?

私はそれ、信じられない。

もしそんなことが可能ならば、これだけ残虐な歴史を辿って来た我々人間は、「人間愛」なんていう感情や文化はとっくに淘汰されていると思う。(遺伝的にも、輪廻転生的にも。)

そんなことが可能ならば、高次霊や神社の神々があれほど愛に満ちているのはなぜ?

残虐性が優位に働く世の中なら、残虐なものこそそうした高次の存在になるはずなのに、実際の高次霊や神々は愛に溢れた人たちじゃないか。

よって、その被害妄想は、きっと違う。

だが、何か納得出来る答えはまだ出ていない。

でも、その答えはそのうち見つかるかもしれないし、それはきっと安心出来る答えなはずだ。

なぜなら、我々には「安心出来る」という直感がある方向こそ、生まれつき備えられた「指針」なのだから。

簡単に言うと、「こうだったら良いのにな」と思うことが、意外と真理だったりするのだ。

「こうだったら良いのにな」を究極まで冷静に探究し、そこで得られた願望こそが、実は最初からこの世の真理だったりするわけだ。

なぜなら、神様は直感でその方向に向かうようにプログラムしてくれていたから。

 

よって、人間愛を持って生きていると、死んだ後に何かしら良いことがあるんだということが、何となく想像付くと思う。

それが天国と地獄の存在なのかもしれないし、もしくはあの世では原則として同じレベルの魂同士でしか関われないのかもしれないし、もしくはその両方があるのかもしれない。

少なくとも、この世では人間愛があると残虐な奴に漬け込まれて嫌な思いをしまくるけど、決してそんな嫌な経験をするためだけに人間愛が淘汰されずに残っているわけではないことが、何となく想像が付くと思う。