HOJOのお茶を買うと、必ずサンプルのお茶が2袋付いて来るのだが。
そのサンプルの中に、「雲南プーアル熟茶2019」が入っていた。
今までの私はその良さが分からなかったのだが…
…今になって、良さを感じ取れるようになった。
色はどす黒いが、味はほとんど無いに等しい。
しかし、微かだが、切ったばかりの新鮮な青リンゴのような香りが口に広がるのだ。
そして、エグ味などの嫌な味が一切しない。
今までの私なら、プーアル熟茶の場合、味があまりにしないので二煎目を淹れずに捨ててしまう所だが。
たった今、いつもの癖で、二煎目になるはずだった出涸らしの茶葉を捨ててしまったことを後悔した。
コーヒーの場合。
クロミミラパンの「ジャーニーズエンド・ウォッシュト」が、まさに「良さが分かりにくい良いもの」にあたる。
嫌な味が一切しないのだ。
そして、口の中に残るのは、どこまでも遠く続くような微かな天然ハチミツの甘さ。
シチズンの「シリーズ8(エイト)」は、引き算の美学から開発された自動巻き腕時計だという。
引き算の美学とは、現代音楽に例えるならばいかにもモートン・フェルドマン的だなと。
Mark Wastell「At Bonnington」というフリージャズのアルバム。
そう、全てはこのアルバムに出会ったことから始まったような気がする。
これの無損失WAV.ファイルのデジタルアルバムを買うかどうか易占サイトで占って、買えと言われた占断結果は正しかった。
最初は良さが分からなかったのに、ここまでハマるとは。
あらゆる飾りの全て削ぎ落として、辛うじて残った骨格部分の棒人間だけがよろめきながら独り歩きしているような、そんな音楽だ。
主張しない味の良さ。
引き算の美学。
私は現代音楽・フリージャズが好きなので、引き算の美学が好きなんだ。
だからこそ、嗜好品もこのような趣味になる。
ついでに言うと、本業である技術職の仕事もこの哲学でやっている。
それは、意図したわけではなくて、自然にそうなってしまったから。
一方で、リッツカールトンホテルの創業者である佐藤さんは、クロミミラパンの中では「コーヒーらしい味のするスタンダードなコーヒー」が好きだと言っていたそうだ。
そして、彼は私に、1800年代のジョルジュ・サンドなどのフランス文学が好きだと言い、私が好きな1900年代以降のフランス文学を認めようとはしなかった。
まあ、こんなつまらん理由で喧嘩にはならないと思うが、つくづく融通が効かない人だなとは感じた。(笑)
それにより、コーヒーの嗜好の違いもそうなるわけかと。
内面が、外界に出てしまうのだろうか。
でも、佐藤さんは私の技術力の使われたサンプルCDを聴いて、素晴らしいと認めてくれたよ。