もしも自分がナルシストで他人を見下す人間になっていたかもしれないと思うと、ぞっとする。
見下すってことは、ある条件がそこにあって、それに適合しない者を下と見るということだ。
つまり、ナルシストの根幹は「条件付きの自信」だ。
「条件付きの自信」は、「自信」ではない。
「条件付きの愛」が、「愛」ではないのと同じように。
もし自分がナルシストになっていたら、社会の底辺に落ちた自分を認められず、定期的に自殺衝動が芽生えていた可能性がある。
その自殺衝動から逃れるために、他人に見せびらかすための臨時の恋人でも作り、そして恋人のいなさそうな独りでいる人たちを見下して悦に入り、臨時の自信を得ようとしていたかもしれない。
そんなことをやっていたら、人生において本来やりたかったことが出来ないまま人生が終了すると思う。
他人に見せびらかすためだけの人生なんて、自分を生きている人生ではない。
一旦、自分を生きる人生を始めてしまうと、もうその地獄には戻れない。
精神科医ブルトンの「シュルレアリスムと絵画」にも出て来たが、極度のナルシシズムによって自殺した人はいるし、そのせいで歴史上の有名芸術家になれなかった人もいるとのこと。
こんな価値観の時代が、いつまでも続くわけないだろうな。
私を馬鹿にするナルシストの人たちは、私が生きている以上、私が何をやってどんな小さな幸せを感じたとしてもムカつくだろうな。
それは、私を自分より下だと思って条件付きの自信を保とうとするから、下の奴がちょっとでも良い思いをするとムカつくんだよ。
自分より下だと思うから、ムカつくんだ。
つまり、そいつ自身が運を奪われやすい体質になった原因は、全部そいつ自身にあるんだよ。