盗撮ビデオがなぜあんなに魅力的なのかを考えたことがある。

それは、魅力ある他人から運を奪うからかもしれないなとも思ったことがある。

ただし。

盗撮ビデオを見れば見るほど、手に入らなかった野田さん(仮名、8年間片思いした人)が尊く見えて来るんだよ。

結論として、盗撮モノを見れば見るほど、失恋の痛みが増して行くという現象が起きた。

面白いのは、そこに法則性があることだよ。

盗撮モノを全く見ないように心がけてからは、野田さんへの未練が消えて行ったんだよね。

(ただし、ヤラセの盗撮だったらOK。)

 

ちなみに、女の失恋の痛みに関しては、また別の例があるんだろう。

それでも、失恋の痛みが消えない人たちは、他人から運を奪うようなことを自分に許容していたりと、どっかで狡いことを考えているんだよ。

 

同じように、弱い者に横柄になればなるほど、強い者への恨みが消えないんだよ。

それも、実体験として知った。

弱い者に心から優しくなればなるほど、強いと思っていたいじめっ子たちがだんだんどうでもよくなるという現象。

しかもその間、色んな道筋を辿っているうちに、いつの間にかそのいじめっ子たちよりも私の方が強くなってしまった。

 

ムカつかないように耐えていると、それだけで相手に勝てるようになることは前にも述べた。

それと同じで、自分よりも弱い者へのサディスティックな心が芽生えたら、それが消えるまで耐える訓練をしてごらん。

それは結局、同じ心なんだよ。

恨みも、誰かをいじめたい心も、結局のところ起源が同じなんだよね。

愛がないから、条件付きの偽物の愛に逃避するんだよ。

そのせいで、生まれる前に立てて来た人生計画がどんどん狂って行く。

傍目から見て成功しようがしまいが、それは不幸だ。

 

仏教がここまで真理を突いているとは、つい最近まで知らなかった。

恐らく、仏教徒の何%がこのことに気付いているかっていうレベルに、誰もこのことを知らないんだ。

そして、キリスト教も本当は同じようなことを言いたいのだろうな。