ぶっちゃけるけど、運の奪われ・奪いは、あの感覚の通りにはならないようだった。

 

今日、運を奪われた悔しいなと思っていたら、その15分後に電車内で可愛い女の子と目が合って、降りる駅も一緒でまた目が合って、むしろこちらがどきっとして逃げたということがあった。

つまり、奪われたはずなのに、運が上がった。

 

また、先日は、脳を自己中モードにさせて運を逆に敵から奪い取った感覚があったのに、実際はそれとは真逆で運がことごとく悪くなったということがあった。

(疲れているのに更に疲れるようなことが起きる、など。)

つまり、逆に奪ったはずなのに、運が下がった。

脳を自己中モードにすると、確かにその場では強くなるんだけど、運そのものはこうして下がるし、しかも明らかなのは直感が働きにくくなってワクワクがなくなり勉強へのモチベーションが上がらないという現象まで起きた。

 

要するに、これらのことを鑑みる限り、結局人は素直で弱いままでも良いってことだ。

心が繊細で、でも優しさもあって、ちょっといじめられそうなくらいの方が、結局、神的な存在に好かれて、正しい方向に最短距離で導かれる。

(そして、一見そういう人の方が運が悪いように見えるのは、もしかしたらそういうその人自身も結局、自分がやられたことを他の弱い人間にもやってやろうという卑劣な心を隠して持っているからかもしれない。→だから神様に好かれない。)

もう一度言うが、運を奪われた・奪ったという感覚は、実際の運気には反映されず、むしろ真逆に働いたりすることが分かった。