結論から言う。
自分が他人を馬鹿にする心を持っている時だけ、他人からもエネルギーを奪われることが分かった。
ただ、ハハハと笑いに来る瞬間に「来るぞ」と構えておくと、かなり効果的に跳ね返せる。
あとは、あくまでも勝つための手段として、ムカつかないように心をコントロールすること。
そして、会ったことのない他人は特に、信用し過ぎないこと。(心の防波堤)
これにより、勝つための力をかなり省エネすることに成功した。
これにて、証明完了。
結局、自分の心の中にある、他人を馬鹿にする部分が自分を弱くしていたってことだ。
この方法は、日本の法律下であれば、どんないじめにも対応出来るはずだ。
それを知ったのは、キリスト教の教会でミサを行った時、自分の中に人々を馬鹿にする心があって、その悪意をコントロールするのに苦労したことによる。
馬鹿にしていることを信者の人たちにはバレなかったが、司祭さんにはバレた。
別に司祭さんのことを嫌ってはいないし、むしろ好きなのに、香ばしい人だなぁという気持ちが芽生えてしまった。
その時、ミサ中に「神よ、私の罪をお許し下さい」という文言を唱えたら、自分の中にあるその悪の心が少しずつだが和らいでいくことが分かった。
キリスト教って本当によく出来ていて、その教えの通りに信じて生きていたら、確かに守られる。
司祭さんを見て、この人はホンモノだと思った。
こんな心の綺麗な人(しかも霊的感性がめちゃくちゃ鋭くて、他人の心が読める)がまだ日本にいたならば、ついて行こうかなと思えてしまう。
これからの人生は、もしも他人にエネルギーを奪われた時に「あっ、自分の中にも他人を見下す心がまだ残っていたぞ」と確認する人生になりそうだ。