前に紹介したこの動画の17:06からなんだけども。
https://m.youtube.com/watch?v=44VagVZf574
要するに、我々人間が想像出来ることって、あの世にあるものしかないわけよ。
つまりは、あの世って、想像したものが現実なんだわ。
それは、この世でも半分はそう言える。
ただ、この世って基本、大元の神様による引き寄せの法則で成り立っている縛りがあるから、基本的に人間はその神様の作る現実の下位に位置する。
だからこそ、引き寄せの法則は物理法則を通して叶う。(でも、チャンスが来たり、向こうからギフトされたりもするから、物理法則を通すと言っても奇跡であることには変わらない。)
そして、だからこそ、人間には「善と悪」が存在するし、人間観察の悟りを突き詰めて行くほど、人間の価値は善と悪しか残らない。
そして、だからこそ、人間には生まれる前に立てて来た人生計画という、人生の「方向性」がある。
でも、この世の時間も実はハッタリなので、下手したら今この瞬間にもその人生計画はその都度変わる。
でも、人生計画というのは基本、その人個人が最終的に幸せになる方向へと向かうものだし、大元の神様はそっちに向かって欲しいからこそその人に「幸せな予感」というものを与える。
で、以下は仮説だが。
聖書がもしも全部嘘の話だったとしても、それを信じる人たちの信仰心によって新たな神様を誕生させてしまったんだ。
それがイエス・キリストや天使なんだわ。
だから、キリスト教の教会で願い事を言うのって、確かにご利益はあるわけよ。
同じことが、日本の神社やお寺にも言えるわけ。
ただ、同じことが悪魔にも言える。
上記の「幸せな予感」だけど、悪魔は幸せな予感を擬態させて送ることが出来ると思うので、我々はその幸せ感が果たして本物なのか偽物なのかを区別するような鋭い感性が必要になって来る。
それを判断するための感性の鋭さは、自らの体験によって磨かれることが多いと思うが、逆に、生まれつき持っていた愛を絶やさずに生きることもその判断力に貢献するはずだと思う。
と、こういうスピリチュアルな哲学を書くとまた「女っぽい」とディスられるかもしれないが、まあ、男が女っぽくなると、女より女らしくなったりするからね。
(そうは言っても、私の内面の9割方は男だけどね。)
逆に言えば、今の私に備わっている女っぽさって、(特殊な運命に生まれた女の子でもない限り、)ほぼ全ての女の子が生まれつき持っていたとも考えられるわけよ。