チムー王国生贄まとめ

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/b/042800176/

チムー王国の生贄文化の跡が見つかったそうだ。


チムー王国エルニーニョ現象により気候変動が多かったため、農業用の運河も洪水により破壊され、海水温の上昇により魚が採れなくなっていたため、生贄を要したのだとされる。

そして大量生贄の起きた数十年後の1475年には、インカ帝国によって滅ぼされてしまった。

生贄は、熟練者の手によって確実に効率よく殺害された。

遺体の多くは東のアンデス山脈の方を向いていた。

当時、生贄になるということは名誉なことだった。

成人を生贄に捧げてもエルニーニョ現象が起きてしまうため、子どもを生贄に捧げたのではないか、という説もある。

 

上記記事では書かれていないことを述べると・・・

チムー文化は、太陽神(Jiang)よりも月神(SiまたはShi)の方が強いと信じていた。

なぜなら、月は潮と植物に影響があると考えられていたから、生活に密着する意味で重要だったのだ。

他には、おうし座の散開集団であるプレアデス星団のような星座も、作物を見守っているとされて信仰された。

チムー人はその他にも火星神(Nor)、地球神(Ghisa)、海神(Ni)を信仰しており、その神々に生贄を捧げることもあった。

生贄にされた者は「神格化する」と信じられていた。

インカ帝国は太陽を信仰したが(そもそもインカとは太陽神の化身のこと)、チムー文化は太陽を破壊的なものとして考えていたという。

ただし、チムー人は、自分たちの先祖は太陽の子だと信じていた。

月の神を崇拝する思想は、チムーが征服後にシカン文化を受け継いだから。

シカンとは「月の宮殿」のこと。

 

ちなみに私の師匠の家にはチムー王国の笛瓶がある。本物だ。

チムー王国はセックスに大らかな文化だったため、美術品にはよく男女がやっている姿が彫られている。

子作りの文化は、さぞ生贄には困らなかっただろう。