「所産の客観的外部性は、既に言語が、言い換えれば超越が創設する世界に位置づけられている。」


全体性と無限 第一部B-3、最後の行。

これもユダヤ教徒でないと意味不明になる。

初めに言葉ありき。

言語=超越=神の力

神が創造したこの世界に、自分の外の世界に生み出されるものたちがいる。

しかも、その外の世界に生み出されるものたちのお陰で、自分には時間が存在している。