愛と性欲、引き寄せの法則についての考察

(Facebookに投稿しなかった記事)

 

私は形而上の喜びを知って、本当の幸せを手に入れるために生まれてきたのではないかと、つくづく思うことがあります。
もちろん、これは私だけの人生計画(宿命)なのかもしれませんので、そうでないと思う人は自分の本当の心の声に従って下さい。
自身の心の声こそが、何より大事なものなのです。

 

結婚して子どもが生まれてくるという現象は、人の死期と同じくらい、それ自体が運命です。
どんな親であれ、どんな環境であれ、その子は生まれる前に神と立てた人生計画をもって、覚悟を決めて生まれてきます。

 

私は、上記の理由から、性欲というものの存在意義はあくまで子どもを作るためが第一であると考えています。
これは、私のような宿命に生まれた人なら納得できると思います。
もしかしたら私はインディゴチルドレンなのかもしれませんが、本当にそうなら他人の平均よりも崇高な目的のためにわざわざ地球に生まれたことになります。

 

なぜそう言えるかというと、私の誕生日のタロットカードは14番「節制」だからです。
これには何となくですが、納得できます。
私は、性欲主体で考えると、性癖に合致した結婚相手を引き寄せたいと思ってしまいますが、しかし、心の底から惹かれる人というものは、なぜだか知りませんが性癖の嗜好を無視して考慮してしまいます。
これは、性欲という一過性の感情で相手を選ぶのではなく、私の魂が震えるような人を選べということなのでしょうか。
性欲と愛が、あまり合致しないことが多々あるのです。
この意味は、バースデータロットの「節制」に現れているような気がします。

 

そうなると、引き寄せの法則で「性欲も結婚も、何でも一番を引き寄せろ」というのは、私に限っては少し違うのかもしれないと思っています。
愛と性欲は、出来れば合致していて欲しいです。
しかし、過度な性欲は、愛を阻害しているかもしれないとも思うのです。
仮説ですが、過度な性欲は、性欲が一番で愛がおまけみたいな脳の働きを催すのかもしれません。
そうなると、どんなに良い女性と結婚しても、その動物的な脳では4年で飽きてしまう気がするのです。
私が引き寄せの法則で引き寄せるべきことは、心の底から愛する人であり、自分の心の奥底にあるその願望に気付くまで、しつこく節制の現象を引き寄せている気がするのです。
これは、引き寄せでいう恋愛結婚に限った話ではなく、お金や生活といった、全ての事柄に共通することかもしれません。
全ての事柄が、「節制の下で本物の幸せを手に入れる」という宿命。
(繰り返しますが、これは私だけに限った話かもしれませんので、違うと思う人はその心の声に従って下さいね。)

 

そんなわけなので、私の好みのタイプの女性は、最終的には「心の綺麗な人」でした。
一番の願望とは何か?と、心の中を分析に分析を重ねていくと、最終的に残ったのはそれでした。
ちなみに、私から見れば、心の綺麗な人にブスはいません。
その理由の一つは、心が愛で同調した瞬間から私がその人をブスだと認識することはなくなることと、もう一つは、そのことを正直にその相手に話してあげると、仮令その人からフラれたとしてもその人の目から幸せオーラが出て、顔つきがもはやブスではなくなり「愛され体質」な顔になるからです。
(その証拠に、私が心から好きになった人たちは、みんな誰かに選ばれて結婚しています。)
実は、他の人たちももしかしたらそうなんじゃないかな?とも思ったから、ここに書いたのです。
心の綺麗さで繋がり合う喜びこそが、一番安定した幸せをもらっているような気がするのです。
これに共感してくれる人は、心の分析を重ねていけば結構いると思うのです。

 

でも、私はまた性欲主体の感情に動かされてしまいます。
でも、PCの動画を見て射精した瞬間から数時間は、また崇高な本当の愛を求めてしまいます。
今の私は、ちょうどその狭間を繰り返しながら、学んでいる最中です。
たぶん、私にまた恋人が出来て、その女性がリアルにそこにいたとしたら、この葛藤は吹き飛ぶかもしれません。