デリダは、ロートレアモン「マルドロールの歌」の第六歌に、散種の精神を見出したようだ。
散種とは、歴史的な経緯を一切すっ飛ばして、一つの単語や一つの文章、一つの作品を考えること。
私はあまり内容を覚えてはいないが、ロートレアモン全集は、一応、目を通したことがある。
確か第六歌は、読者に話しかけるような内容だった気がする。
「諸君、文章を書くのに数学を学ぶことは役に立つぞ」みたいな所だけ覚えている。
ちなみに、第一歌〜第五歌までは、自動記述っぽい意味不明な文章だった。(まあ、美しくて不思議な魅力のある文章ではあるのだが。)
「(一般文学の)テクスト」と「現実」が対立するものならば、テクストと現実の境界をなくしたものが、あの読者に話しかけるというスタイルのテクストだった。
ただ、思うんだが、一つの作品を作るにあたっては、過去の偉大な芸術作品に触れてきたその積み重ねがあって、初めて一流のものを生み出せると思うんだよね。
つまり、散種の精神で作品を生み出すのは、そういう積み重ねがあってこそ本領を発揮すると思うわけだ。
基礎が出来て、初めて散種という応用が出来るのだと思う。
なので、初めから新しいものを作ろうとすると、薄っぺらいものしか生み出せないと思うんだよね。