馬鹿にされても、必ず勝てる。
単に勝てると信じること。
方法は考えなくていい。
人を馬鹿にするような人間よりも、こちらの方が霊格が上なんだから、引き寄せの法則はこちらの思うように発動する。
引き寄せのコツは、今までの人生がどうだったとか、そういう過去の経験則とは切り離して思念すること。
逆に、馬鹿にされると潜在意識で思ってしまうと、相手をコントロールして人を馬鹿にするような人間に育ててしまう。
思えば今までの人生、それで乗り切って来た。
突然、神風みたいなのが起きて、敵が自滅したりと。
逆に、理不尽なことがある時は、私の心の中にも狡さがあったりと、霊格が低かった時だった。
霊格は、変わるし、上がる。
普段から優しい心を持ち、心の中に邪念を持たないこと。
邪念とは、弱い者に対する優越感などがそれで、芽生えたら即消す訓練を積むこと。
霊格が上がれば、自分はモテると信じていると、本当にモテるようになる。
私の場合、馬鹿にされたかと思えば次の瞬間にモテたりするので、私の現在の潜在意識はこんなもんだよ。
私ももっと潜在意識を浄化していかないとな。
私の潜在意識の一番奥底には魂の願望があって、生まれてきた意味がそこにある。
その魂の願望というのは、自分に対する勧善懲悪であり、浮かれて来たら馬鹿にされて、沈んで来たらモテたり尊敬されたりするように出来ているのだと思う。
自分を天才だと思えば、天才になるんじゃない?
その場合、皆天才なんだって思えば、謙虚な心が保たれたまま自分を天才だと思うことが出来るけど。
まあ、あまり天才に関しては、恥ずかしいし興味がない。
魂の目的があって、その必要に応じて大元の神から才能が与えられる。
その才能というのは、過去生で才能を開発させるために与えられた環境のこと。
過去生でやって来たことが、今の自分の才能だから。
あとは、高次霊が直感によって情報をくれたりするのも、一見するとその人の才能に見えたりするが。
ちなみに、モテても良いけど、異性同士を争わせちゃいけない。
自分のために争う異性たちに悦びを感じる程度では、霊格は低い。
すると、自分よりも霊格の低い、自分よりも性格の悪い人しか引っ掛からなくなるから。
だから神社・仏閣・教会というのは、効果があるわけ。