仮説。

 

霊格が高くなれば、思い込みが現実化しやすくなる。

 

例えば、AさんとBさんがいがみ合っており、お互いに「こいつよりは自分の方が勝ち組だ」と思い続けていれば、霊格の高い方が相手よりも勝ち組になる。

もちろん、霊格の高い方が心の奥底で「負ける」と思い込んでいたら、負ける方向に現実が進む。

なので、霊格の高い人たちはポジティブに生きるべきなのだ。

そして、霊格の高い人たちはそれを察知してか、神仏や運を信仰するようになるし、楽観的になる傾向がある。

 

仮説だが、いじめられた人が運を奪われるとしたら、その理由について考察してみた。

それは、いじめられた人にもいじめた人と同質の「狡さ・弱者への残虐性・差別性」といった「霊格を下げる要素」を心の中に持っており、それはやがて同じような霊格同士で戦い合い、奪い合う運命にあるから。

(世の中から争いがなくならない理由は、人は皆、生き物を殺して食べて生きているから、それにより霊格がその程度に留まってしまい、どうしてもちょっとは争いが発生してしまう運命の下にあるのだと思う。)

なので、いじめられた私は、とにかく自分の心の中にある「狡さ・弱者への残虐性・差別性」を抜くことに注力した。

つまりは、霊格を上げることに注力した。

その結果、自然な流れによって、いじめていた人間を見返すことになった。

それにより、更生した人もいたし、悪鬼も及ばぬほどの殺意ムンムンの悔しそうな表情をしたのちに、今度は私に媚びて来た人もいた。

(ちなみに、なぜそんな悔しそうな表情をするのかというと、他人の不幸を悦ぶ度合いは嫉妬深さに比例するという、科学的な理由があるから。)

私の今までの人生は、無意識にこの方法で乗り切って来たのだと思う。

霊格を上げれば、勝てるのだ。

でも、霊格は常に変動しているし、ちょっとした思考のせいで下がってしまうこともあるから、思考には本当に注意して生きること。

 

嫌な気分をじっと耐えていても、私は運が巡ってきた。

それは恐らく、その間に霊格が上がったことに加えて、心の奥底では「必ずうまくいく」と信じ抜いたからだろう。

引き寄せの法則は、間違いなく真実だ。

もし引き寄せの法則が嘘ならば、たまたま同じ時期に別々の方向からの「幸運・良い転換期」が重なるわけがないから。

 

今は、あの子(新しいお弟子さん)の明るい性格に触発されたのか、トラウマらしきものは滅多に感じなくなった。

明るい性格の友人と、本当の意味で仲良くなれれば、トラウマは消える。

もし現在、トラウマが消えてないっていうならば、それは明るい性格の友人とそこまで仲良くないか、もしくはそういう人が周りにいないからだ。

「類は友を呼ぶ」も、引き寄せの法則の一つ。

というか、環境の引き寄せだって、類友の引き寄せだって、引き寄せの法則という名の同じ原理のうちの一つである。

 

嫌なことがあったら、自分の中の恐怖心を見つめて、その嫌な気分にじっと耐えること。

その間に霊格が上がるし、根底には生きようとする気持ちが芽生えるため、気分は不幸でも根底では「絶対に這い上がってやろう」という気持ちが消えることはない。

これは、引き寄せの法則としても正解の道だ。

しかし、いじめっ子の人たちはだいたい、自らのプライドゆえにそれが出来ない。

そのせいで、いじめっ子の人たちは、自分が本当にムカつく相手には負け続けなければならないし、本当に解決しなければならない環境的な問題は解決しない。

だからこそ、自分よりも弱い人間をいじめることにより、自分の心の傷を分かってくれる人を作ろうとする。(加えて、自分よりもヒエラルキーが下の人を作って、悦に入り、その快楽で慢性的に不幸な気分から逃げようとする。)

皆、夢を持とう。

幸せな気持ちになれば、他人を害してやろうなんていう気持ちは本当に芽生えないから。

誰だって、受け取れるはずだった幸運の100%を受け取っている人はいない。

誰だって、本当はもっと幸せになれたはずだ。

そして、幸せとは、お金や性欲やヒエラルキーのことではない。

幸せとは、お金や性欲やヒエラルキーも手に入った挙句に、心まで他人を思いやる嬉しさを知っているような、そういう「妥協のない世界」のことを言う。