嫌な奴に対抗して、自分が勝っているかどうか確かめる癖。
それを手放すことにした。
嫌な奴には対抗しない。
ブロックすればそれで終わり。
もうこちらからも相手からも、お互いが何をやっているのかが分からない状態になる。
あとは、私の知らない所で、せいぜい嫌な奴同士でのマウントの取り合いでもやっていればいいよ。
いじめっ子に勝つとか負けるの問題じゃない。
いじめっ子になること自体が、普通に生きている人たちに比べてそこそこ不幸なことなんだってことに気付いてしまったんだ。
だっさ。
だから、単にブロックすればそれでいいんだってことに気付いてしまった。
他人の不幸を悦ぶ癖は、
・馬鹿にしていたその人に勝ち続けなきゃいけない強迫観念
・他人と幸せを共有して良い家庭を築いている普通の感覚の人たちに対する、嫉妬や劣等感
・だんだん自己中になっていき、ちょっとしたことでもストレスに感じやすくなる
・だんだん自己中になっていき、感謝の気持ちが減っていく
・育ちの悪さによる潜在意識のトラウマに向き合わないから、根本的な解決が出来ない苦しみ
・多かれ少なかれ、毒親になる
…などと、色々な面で弊害がある。
でも、人は反省しないし、快楽を伴うことはやめられない。
だから、いじめっ子になること自体が負け組で、自分はそうならなかったんだから幸せなんだ。
でも、頭も性格も悪い人たちは、それが理解出来ない。
だから、あいつらはせいぜい、本当の意味でずっと負け組でいればいいんだよ。
しょうがないよ、その人たちには、人生の教材がそれしかなかったんだから。
人は愛情が不足すると、残虐になる。
なぜなら、愛情が不足した人は、弱いから。
結局、嫌なことを乗り越えていき、その積み重ねを作らないと、人って強くはなれないんだと思うよ。